「コロナはただの風邪」というマッチョ型コロナ否認の人々 | がいちのぶろぐ

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昨日配信の東洋経済オンライン誌に、面白い記事が掲載されていた。真鍋厚氏という方が書かれた「『コロナは茶番』侮る人の大量発生を防げない訳 コロナを否認する3タイプは危機を増大させる」という記事だ。

 

ここで真鍋氏は、コロナを否認する人々を3つのタイプに分類しておられた。それらは、「マッチョ型コロナ否認」「不安逃避型コロナ否認」「スピリチュアル型コロナ否認」だとされる。

 

「マッチョ型コロナ否認」とは、「コロナはただの風邪。免疫力を上げれば問題ない」と考える人だ。いるなあ、こういうタイプ。自分は大丈夫という、根拠のない自信を持っていたりする。

 

真鍋氏はこの「否認=認めたくない」という心理状態を、「そもそも否認とは、防衛機制の一種である。恐ろしい出来事や不安な事実をありのままに受け入れることが困難であるがゆえの心の働き」だと述べておられる。

 

だから「『コロナはただの風邪』と言い切ってしまえば何も心配することがなく、コロナ禍がすべて茶番として処理」できるという心理的な働きらしい。

 

困った人たちだと思ってしまうが、アメリカの大統領はこの〝呪文〟を唱え続け、自分が感染した時にも、記者団の前でマスクを外して見せるといったパフォーマンスまで行っていた。

 

たしかにあの方も「マッチョ型」の精神構造だと思うけれど、人として〝まとも〟ではないという気がする。これは「『大したことは起こっていない』という正常性バイアス」によるものだと真鍋氏は言われる。

 

だから、「最終的には人類史という時間軸で被害を相対化しようとする」というのだ。この「マッチョ型コロナ否認」と似たようなことが、「気候変動否認」でも見られるという。

 

これは「スウェーデンの心理学者であるキルスティ・ユルハ」という方の研究だと紹介されていた。

 

真鍋氏によれば、「政治的に保守的な人々の間で気候変動の否定が一般的な傾向であるというこれまでの研究を踏まえ、ユルハは政治的イデオロギーなどとの関連を詳しく調べた」ということだ。

 

その結果、「気候変動否定は、政治的志向、権威主義的態度、現状維持の支持と相関があることが明確」になったのだそうだ。

 

さらに、「タフマインドな性格(共感性が低く、優位性が高い)、閉ざされた心(経験に対する開放性が低い)、男性の性別とも相関がある」こともわかったのだそうだ。

 

いや困ったものだ。「権威主義的態度、現状維持の支持」であり、「タフマインドな性格(共感性が低く、優位性が高い)」の人っていますよねえ。それもわかりやすいパターンで。

 

こんな人に限って、「脅威に動じない勇敢な者が正しいといったステレオタイプの思考」の持ち主で、「大局的な変化を過小評価することで自尊感情を守る」のだという。

 

もう、真鍋氏のこの文章を読んでいて吹き出してしまいそうになる。この間、どこそこの県議会自民党議員団が多人数で会食を行ったとか、何とか市議会の自民党会派がコンパニオンを入れて忘年会を行った、などというニュースが出ていた。

 

「スウェーデンの心理学者であるキルスティ・ユルハ」という方に、〝それほど難しい調査研究を行わなくても、日本なら答えはすぐに出ますよ〟と、教えてあげたいくらいだ。

 

こうしてニュースになった人たちは、心底から「権威主義的態度」がお好きな方々で、「現状維持の支持」者でかつ年齢も高い男性の方々が中心だと思うが、どうなんでしょうかね。

 

こういうタイプの人には、地方議会だけでなく国会議員の先生方も、もちろん含まれていると思う。そしてその中には国のトップや、政権与党を取り仕切っている立場の方も。

 

だから多くの国民が正月の帰省を控えたり、企業が従業員に忘年会開催を強く禁止したり、みんなが必死になっていることを、あざ笑うように勝手な振る舞いをされる。

 

挙げ句の果てに、〝謝ればいいんだろ〟程度の実のない謝罪だったり、謝罪がなぜか〝居直り〟っぽくなって、かえって大炎上したりしているのが実情だろう。

 

真鍋氏が言われている「不安逃避型コロナ否認」や「スピリチュアル型コロナ否認」などは、もうどうぞご勝手にというほかはないけれど、それで回りに感染させるなら大問題だろう。

 

いずれにしても、〝正しく恐れる〟という態度をとることができないで、〝コロナはないのだ〟と否認する人は、結局は自分が怖がっているからこそ、「恐ろしい出来事や不安な事実をありのままに受け入れることが困難」な人なのだ。

 

有り体に言えば、一番の怖がりで小心者なのだけど、それが目いっぱい強がっているということだ。〝正しく恐れる〟ことができない、可哀想な人たちなのだ。

 

だけど、その人たちが回りを巻き込む可能性があるから困ってしまう。「マッチョ型コロナ否認」という人たちを、私は敬して遠ざけ、お付き合いをしないようにしようと思う。