月末近くになると届く京都市発行の「市民しんぶん」は、時折り面白い特集を掲載してくれる。今日届いた11月号も、第1面は思い切った単色のイラストになっていた。
そこにいわく「京都らしさって何だろう?」と。そう正面きって問いかけられると、少し気恥しくなる気もする。京都らしさねぇ。
イラストでは舞妓さんに鳥居、五重塔、それに扇子までは良いとしよう。右下にはファミコンのコントローラー。ウ~ん、まあいいか。真ん中はこれ何?コッペパン?
たしかに、パン食は京都文化かもしれない。私も何十年間と欠かさず〝朝はパン〟。我が家の近くだけでも、自前で焼いているパン屋さんは半径300m圏内に5軒ほどもある。
ということで2面を開くと、「みんなで考える京都らしさ」として「文化財」のことが書かれている。文化財とはどんなものを指すのか、から始まって、守るための取り組みが示されている。
文化財の指定・登録制度や、無形文化遺産のこと、「京都遺産」に登録されている内容など。そして町としての景観形成や町並み、建造物への措置なども。
たしかにこうした歴史的景観の形成は、寺社仏閣などを守るよりも大変なことだし、大切なことだと思う。一人の努力でできることではなく、地域ぐるみで努力する必要がある。
何よりも寺社など単独で存在する文化財と違って、地域の景観を保って行こうという、その地域に暮らす住民一人ひとりの理解がなければ、将来も保たれていくものではない。
そんなおりしも、京都に住むには住居取得にかかる費用が高いから、徐々に住民が減少してゆくとして、マンションなどの高さ制限を取り払おうという動きも出ているらしい。
このまったく矛盾した政策は何なのだろうかと、首をかしげざるを得ないけれど。ただ、京都の中心部に近い地域では、築15年以上の中古マンションでも、100㎡以上の物件なら5千万円以上する。
このところ、ポスティングされている不動産会社のチラシでも、そうした物件の紹介が載っていることが多い。我が家は大古の一軒家ではあるが、今、私がこれを買おうとすれば無理に決まっている。
だからこそ、京都市内の家と土地を遺産相続した子どもたちは、相続税を払うためだけでなく、すでに京都には住んでいないから、京都市内の親の家を売り払ってしまう。
こうして市内でも中心部に近い、古い家々は虫食いのように空き家が増えてしまっている。景観形成以前に、住み手がいなくなった家や、古家を取り壊した跡地が、ポツンポツンと町中に点在している状況が見られる。
その上に、文化財として指定や登録がなされた場合には、改築や修理にも費用が掛かってしまう。その助成制度のことが「市民しんぶん」の3面にサラッと書かれていた。
あろうことか「木や紙で作られた多くの文化財は、地震や台風などの自然災害や火災に弱く」とまで書かれてしまっている。それはそうだが、3匹の子豚の寓話ではないだろう。
だから、「文化財を取り巻く現状と課題、維持・継承に係るこれまでの取り組みを明確化し、市の方針や具体的な措置を示す」ために、「文化財保存活用地域計画」を作るという。
だから、パブリックコメントを受け付けるそうだ。さらに、「お気に入りの祭りや年中行事の写真及びウィズコロナ社会における維持継承への提案」もお寄せ下さい、としている。
その例として「祭礼のライブ配信」や、「歴史的建造物の屋内をVR(仮想現実)で公開」、「AR(拡張現実)を用いた過去の景観の再現」などが示されている。
たしかにそう言ったことも大事だけれど、本当に必要なことは景観形成のカギとなる空き家対策であり、相続対策だろうと思ってしまう。
この地区で、この家の外観を守って維持して行くのなら、相続税の減免や援助をする、というのが本来あるべき「維持継承への提案」だろうと思う。
ご丁寧に「市民しんぶん」の裏面には「京菓子で季節の移ろいを楽しむ」という見出しで、四季ごとの京菓子が紹介されていた。これも伝統文化の一環ということだろう。
正月の「花びら餅」、雛祭りの「引千切(ひちぎり)」、〝夏越の祓〟(6月末)の「水無月」、亥(い)の月(旧暦10月)の亥の日に食べる「亥の子餅」が紹介されていた。
その問合せ先が「文化財保護課」となっていたのは、少しばかり笑ってしまった。確かに和菓子も伝統工芸の一つだろう。だからと言われたらその通りだが、何だかなあとも思う。
文化財があってこその京都であり、文化財をネタにする商売も、京都にとっては基幹産業の一つには違いない。だけど、もう少し伝え方があってもよさそうなものだし、何よりも施策の説明が乏しすぎる。
これが市民に向けた文化財行政の解説というかPRなのだとしたら、少しだけ背筋が寒くなるような気がする。
とはいえ、国だって文化庁の京都移転だけでもすったもんだの挙げ句に、ようやく移転するくらいの国だ。これで文化庁に配属された公務員は、東京を離れて〝田舎暮らし〟を強いられることになる。
やれやれ、国から京都市まで、文化財をどのように利活用しつつ、保護行政も同時に進めて行くことができるかという、根本的な課題とは向き合うことなく終わるのだろうなあ。