人を見て法を説くことの大切さ | がいちのぶろぐ

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ひとを育てる場合、欠点を埋める作業を行うべきか、長所を伸ばす作業を行うべきか、これは常に難しいテーマだと思う。

 

今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌の対談記事で、こんなことがテーマとなっている記事があった。

 

「『来週、マグロを釣りにいきます』雑談から生まれたイノベーション」というタイトルの、『その仕事、全部やめてみよう』という書籍の著者小野和俊氏へのインタビュー記事だった。

 

小野氏は、会議で決まりきったことを報告し合う必要などほとんどないが、その席で行う雑談の中から新しい〝創造の芽〟が生まれると話していた。

 

「マグロを釣りに」行くこと自体には大きな意味はないが、そこから話が膨らんでいくし、自分が夢中になれることをその場でみんなに話すことは、場の雰囲気を盛り上げる働きもある。こうした中から思わないヒントが出て来ることもある、ということが語られていた。

 

こうして自分が夢中になれることを土台にして、それをヒントに何かを行うことは、人の欠点を埋めてオールラウンドに〝そつ〟なくこなせるようにするよりも、ずっと成果が大きくなるというのだ。

 

今までの企業の教育は、むしろ〝そつ〟なく何でもできるようにするために行われてきたけれど、それではその人の持っている良さを消す方向にしか働かない、という意見のようだった。

 

特に大企業ではいろいろな部署や工場勤務などを経験させることで、会社全体の中味を知り、どこでも〝それなり〟に働けるオールラウンドプレイヤーを作ろうとしてきたことは間違いない。

 

それはそれでいい面もあるだろうけれど、それによって人の持っている能力の優れた点や〝尖った考え方〟をダメにしてきたのではないかという意見だ。

 

それよりも、いっそのことその人が夢中になれることを引き出して、それに集中させれば、きっとそれまでとは違った成果を出すだろう、ということは十分に考えられる。

 

ただし、これは誰にでも当てはまることかというと、それも少し違うような気もする。中にはこうしたやり方で、大ヒットを飛ばしてくれる人もいるだろう。

 

逆に言えば、そんなに夢中になれる何かを持っていない人だっている。また、それが仕事にいずれどこかで役立つというわけではない、という人もいるだろう。

 

私自身が、大昔に誰かから言われた〝ことわざ〟があった。『人を見て法を説く』という言葉だった。この言葉が、今日の記事での小野氏の意見とオーバーラップした。

 

それぞれの人間に存在している個性と、その人間の得意とすることをよく観察し、その人間に相応しい方法を見出して導いて行く、ということを教えた〝ことわざ〟だと思う。

 

ただし、小野氏が記事の中で述べているように、「イノベーションが起こるパターンの一つは『繋がらない』と思っていたものが『繋がるとき』」だということはよくわかる。

 

だから、「役に立つことだけをやっていてはダメで、『役に立たないけど、夢中になれるもの』が大事」だということは、それもその通りだと思う。

 

こうした夢中になれることも、雑談の中から見えてくる。だから会議の席で決まりきった報告などに時間を割くより、会議中に雑談できる雰囲気が大事だということも理解できる。

 

その人の人柄や性格・個性なども、雑談の中からより良く見えてくる。そこから、『人を見て法を説く』方向も生まれて来るということだろう。

 

「これからの時代は特に『平均的にいろいろできる人』より『尖った人』が必要だ」という小野氏の考えも、その見方からすればうなずける。

 

ただこれも、その人をどういうポジションに着けたいかという、キャリア形成の中で考えるべきことだとも言える。そうでなければ、スペシャリストの集団になりかねない。

 

マネージャーになる人と、イノベーティブに何かを創造する人では、育て方というか、能力の伸ばし方に、おのずから相違があっても良いだろう。

 

100点を取る項目と、極端に言えば0点になってしまう項目があってもかまわない人と、すべてにおいて60点以上で、中に80点の項目がある方が良い、という人もいるだろう。

 

ただ誰もが全項目で60点以上を取ることも不可能だし、それぞれの個性を見てその人のキャリア形成の中でどうすべきかを見抜いてゆくのも、優れたマネージャーの役割だろう。

 

そんなことを思いながら、このインタビュー記事を読んでいた。小野氏が言うように、すべての人の「谷間を埋める」という考え方も、あまり良くないということも事実だろう。

 

人の能力を見抜いて、それを引き出し、伸ばすということは教育の本質だ。だからこそ難しい作業なのだと思う。

 

 

 

今日の午後は、お手伝いをしている高校の「総合学習」のために出掛けるけれど、先々週フィールドワークに出掛けていたグループが、どんなことを持ち帰って来たか報告を聞くのが楽しみだ。

 

小野氏が言われるように、それぞれの個性を見出せるように、私も雑談に加わってみようと思う。