ついにというか、やっとというか、とうとう梅雨明け宣言が出された。今日は7月31日、明日はもう8月。〝遅れてきた夏〟とでも言えばいいだろうか。
ただ今年の夏は、多くの海水浴場が〝海開き〟を行っておらず、砂浜に海の家もなければ、安全のための監視員も配置されていないという状態のところが多い。
早い話が、「海水浴客は来てほしくない」という地元の意思表示だ。だから、もし行ったとしても、海の家がないから更衣室やシャワーもないだろう。不便この上ない。
もちろん海の家の経営者だけでなく、浜辺に近い飲食店などでも、売上げがほとんど見込めないから、経営的にはとても苦しいだろう。
だが全国的に急激に感染者数が増加する中で無理に営業をして、もし海の家や飲食店の関係者に感染者が出たら、もうその瞬間に〝一発アウト〟になってしまう。
自分の店から感染者が出るようなことになれば、それこそ二度と立ち直れないほどの非難を浴びることにもなりかねない。そんなご時勢になってしまったのだ。
今日の東京の感染者数は460人を超えたということだ。岐阜県知事は、独自の判断で県内に向かって緊急事態宣言を出すらしい。
もはや政府の意向なんかに〝かまって〟はいられない、自治体は自治体独自の判断で進む、というような状況になってきたみたいだ。
それでも「Go Toキャンペーン」を止めようともしない、政府のこの〝体たらく〟はなんだろう。まるで国民のことなど目に入っていないとしか思えない。
というような愚痴は、私のようにナチュラルな〝外出自粛〟中の、引きこもり気味の高齢者にとっては、本来は関係ないことだが、つい〝何だかなあ〟とは思ってしまう。
ところで今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌で、小野和俊氏というクレディセゾンの常務執行役員の方が、「ダメなアイデアが生まれる『5つのパターン』」という記事を寄稿されていた。
小野氏は冒頭で、「よいアイデアとは、誰かの役に立つものだ。裏返して言うと、喜ぶ人の顔が見えてこないアイデアは、すべてダメだ」と述べておられた。
どんな場面で、どんな趣旨や内容でアイデアを出そうとする場合でも、そこで欠かせないのは「誰かの役に立つ」もの、「喜ぶ人の顔が見えて」くるもの、という視点だという。
その通りだと思う。〝これって誰のため?〟とか、〝誰が喜ぶの?〟という視点で考えれば、この間に誰かが行ってきたことは、国民の目から見れば〝全て愚策だった〟ということが、この短い文章に凝縮されている。
そこで小野氏は〝ダメなアイデア〟の条件として、次の5つのパターンを示しておられた。
1.プレッシャーを受けて無理やり考えるとき
2.役職者の思いつきをとり入れるとき
3.変に差別化しようとするとき
4.流行に安易に寄せるとき
5.「この機能が追加されれば大型案件がとれる」というとき
1と2のケースを読んだ時には、思わず吹き出しそうになってしまった。「まさにそうなんですよね~」と心の中で拍手をしてしまった。
プレッシャーを受けて、「焦って無理やりアイデアを出して」笑いものになり、大コケにこけたケースがどこかにあったような気がする。
「役職者の思いつきを現場が忖度してとり入れたプロジェクト」は、大体上手くいかないということも、最近どこかで実例を見ているような気がする。
ましてや、「流行に安易に寄せ」ようとして、星野さんに大変な迷惑を掛けてしまったアイデアもあったよな、と笑えてきた。
小野氏のおっしゃる通り、〝ダメなアイデア〟はどんな状況に置かれたら、どのように出てくるかを、わかりやす過ぎる事例で教えてくれた、この数か月間だった。
小野氏は最後に、あらめて「『よいアイデア』とは、『誰がどんなふうにこれで喜んでくれるか』が考え抜かれたもの」だと締めくくっておられた。
ここまで来れば、誰もが〝そうだ〟と納得するだろう。「誰がどんなふうにこれで喜んでくれるか」を考え抜いたアイデアでなければ、きっと思ったような成果は出ないのだ。
さても困ったものだ。超一流大学を優秀な成績で卒業した方々が、スタッフとして揃っていても、ダメなアイデアになることもあるのだとしたら、私たち凡人には何が可能だろう。
やはりひたすら〝外出自粛〟を実践するしかないのだろうか。残念ながら、千葉都民の娘の家族は帰省を見送った。でも、きっとそれで正解なのだと思う。そんな夏になりそうだ。