嵐山を見て生徒たちは何を考えるだろう | がいちのぶろぐ

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お手伝いをしている高校の「総合学習」は、今週はこれからの概要説明があり、来週は授業時間を使って、京都の有名な観光地である「嵐山」へ見学に行くことになっている。

 

 

 

生徒たちは、ほぼ京都市内とその周辺の市から通学している。ところが嵐山へ見学に行くために聞いてみると、例年、4割ほどは「一度も行ったことがない」という回答になる。

 

これはありがちなことだと思う。自分が近くに住んでいても、そこへ行く理由は特にない。私自身、外国から知人が来て案内するようなことでもなければ、金閣寺へ行くことはまずあり得ない。

 

 

 

もちろん結果的には、何度も金閣寺へ足を運んでいるのだが、何かきっかけがないと行かない。そして、17歳の高校生にとって嵐山へ行くという積極的な理由はあまりない。

 

高校生がお小遣いで交通費を払って、嵐山へお花見に出掛けたり、紅葉見物に出掛けたりするケースは、ボーイフレンド・ガールフレンドとデートに行くといったことでもない限り、そう多くはないだろう。

 

 

 

今まで嵐山に行ったことがあるという生徒は、小さい頃に親に連れられて出掛けた記憶がある、といったことだと思う。または、幼稚園や保育園の遠足で出掛けたくらいだろう。

 

だから、嵐山という京都を代表する観光スポットを実際に訪れて、その現状や、昨年までだったら混雑具合などを体験してみることも、これからの京都を考えるためには大事なことだと思う。

 

 

 

そこから京都という町の成り立ちや、置かれている立場を肌感覚として理解することができるから。だから毎年、この授業では必ず早い時期に、嵐山を見学することになっている。

 

こうして実地見学をすると、まずは観光地の抱える問題への意識が湧いてくることが多い。さらに派生して、京都の町づくりのあり方や伝統産業の問題といったテーマに結び付いていったりもする。

 

今年は4月の訪日客が99.9%減少した。早い話が外国人観光客はいなくなった。桜の季節は、京都にとって書き入れ時である。その時期に観光が壊滅した。

 

だから現状では、宿泊施設が稼働率10%を割り込んでいるし、土産物店が店を閉めていたりもする。この状態がいつまで続くのかなど、誰にも正確な見通しは立てられない。

 

そこで来週は、生徒たちが観光客の消えた嵐山を見てどんなことを感じるかをベースにして、京都の〝持続可能な未来像〟を考えるヒントにしてもらいたいと思っている。

 

 

(混雑していた「竹林の小径」も、現状はガランとしている)

 

そのため私も、先日届いたばかりの「問いのデザイン」という書籍を、急いで読み進めているようなところがある。

 

嵐山を見学するときに、生徒たちにどのような「問い」を投げかければ、自分たちが考えるべき問題をどういった方向に膨らませてくれるだろうか、と考えるから。

 

 

それで昨日からは、投げかける「問い」の内容を考えては練り直し、という作業を続けている。誘導尋問にはならないように、だけどどこにでも書かれている〝ありきたり〟の反応にはならないようにと。

 

ありきたりの「問いかけ」をすれば、ありきたりの回答が返って来る。どこかで読んだような回答ではなく、自分なりに考えたことが出てくるような「問い」にしないと意味がない。

 

そう思えば、これまで生徒たちの頭にインプットされている〝固定観念〟を揺さぶるような、そして、自分なりに考えないと答えられないような「問いかけ」をする必要がある。

 

問いかけるこちらは、これまでの京都や嵐山の観光の実情を知っている。それだけに、まず自分をそれらから解き放つことが必要になる。そうしないと、誘導尋問になりかねない。

 

 

 

そもそも〝正解〟などはない目標に向かって、〝考えるヒント〟となるような「問いかけ」をつくることは、こちらにも随分と勉強になるけれど、とても難しいことでもある。

 

ただそれをしないと、生徒たちが次のステップには進めない。この部分は、生徒たちが自分なりにこれからの問題提起をするための、基礎となる作業だからけっこう気を遣う。

 

さて、また「問いかけ」の中味の練り直し作業に取り掛かることにしよう。