〝コロナいじめ〟はハンセン病のケースとそっくりという指摘 | がいちのぶろぐ

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現在生じている「新型コロナ患者やその家族への嫌がらせ、医療従事者への誹謗中傷」や、「自粛ポリス」と言われる現象について、ノンフィクションライターの窪田順生氏が明晰な考察をされていた。

 

 

(すでに閉店していた店の前に貼られた中傷)

 

今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌の、「コロナいじめで暴走する自粛ポリス、潔癖すぎる日本人の『いつか来た道』」と題された記事である。

 

窪田氏はコロナウィルス問題について、「最近の日本は正気を失っているとしか思えない」と書かれる。そして、「コロナと非常によく似通っている」状態が、かつて「ハンセン病」において見られたと述べる。

 

「ハンセン病」の「患者や家族にあらゆる嫌がらせをして、地域社会から追い出」すことで、「ハンセン病患者は地域に存在することさえ許されない存在になった」と指摘する。

 

これが、「営業を続ける店に貼り紙や落書きをする自粛ポリスの手口とソックリ」ということになる。つまり「人々を狂気に走らせるプロセスが同じ」だというのだ。

 

 

 

かつて「ハンセン病」は「無らい県運動」といった形で、「官民一体となった国民運動」になった。これは戦前の昭和10年ごろから始められ、その残滓が昭和30年代頃まで人々の意識の中に残っていた。

 

そこへ松本清張氏が「ハンセン病」患者の家族を主人公にした、代表作の一つとも言える「砂の器」を昭和35年に新聞に連載し、その後これを原作として繰り返し映画化、ドラマ化された。

 

 

 

この小説が書かれた時点で、すでに治療法も確立していたにも拘らず、小説がヒットしたことでかえって人々に「ハンセン病」への差別的な意識を再び呼び起こさせた、という指摘もある(参照;「ノーマライゼーション 障害者の福祉」(荒井裕樹,20049月号)。

 

今回のコロナウィルスの問題でも、「『感染者をゼロに!』といった具合に国民運動化」し、「『感染者を社会からなくす』という点にフォーカスが当たって、感染者排除のムードをつくりかねない」し、「露骨な『患者攻撃』に走る」と窪田氏は指摘される。

 

その原因としては、窪田氏は「日本人の美徳が悪い方向に出て」しまったという。それは「日本人の『清潔さ』」であり、「自他ともに認める『世界一の潔癖国民』」だったから、というのだ。その結果、「『不潔』『不浄』を忌み嫌い、時には差別や攻撃の対象」としてきた。

 

長い間に染みついたこの〝清潔〟観は、今日、大量の〝除菌・抗菌グッズ〟のCMとして現れているし、家の中や体などから過剰に〝臭い〟を追い出すことにもつながっていると、私も思っている。

 

それはともかく、窪田氏は今日の記事で、かつて「ハンセン病」患者や家族に向けられた視線が、今回はコロナウィルスに感染した人や、その人たちの治療に当たっている医療関係者やその家族に向けられていると指摘された。

 

これが「いつか来た道」ということだ。しかし、排斥するだけでは問題の解決にはならない。「目指すべきは、『感染者をゼロにすること』ではなく、『感染者を治療すること』だ」と、窪田氏は結んでおられた。

 

スペイン風邪として猛威を振るい、世界を震撼させた原因は〝A型インフルエンザ〟ウィルスだった。今は、免疫ができたり治療法が確立されたりしたけれど、それでも毎年患者が発生して学級閉鎖などがあり、不幸にも命を落とす人もいる。

 

この先、コロナ騒動がどのように収束するかはわからないが、すでに「Withコロナ」という言い方が現れている。冷静に重症患者を減らす方向へ努力するのが、本来私たちが採るべき行動だろう。