志村けんさんがウィルスで亡くなられた | がいちのぶろぐ

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今日、午前中に所用で外出していた時、スマートフォンに号外が流れて、志村けんさんが亡くなったことを知った。入院の一報が出てから数日しか経っていない、あっという間の出来事だった。

 

私より少し若いけれど、それでもまだまだ元気に活躍されている〝現役〟の方だっただけに、「早すぎる」という想いしか浮かんでこない。惜しい人ほど早く逝くのだろうか。

 

私の子どもたちは、ちょうど『8時だよ!全員集合』で育った世代になる。だから、私も一緒になって土曜の夜にテレビの前で笑っていた。

 

コメディアンとしては、細部までデザインされた笑いを追求する人だった。偶然の一発ギャグのように見える場合も、そこに至るまでの流れがあって、ギャグが出ることで〝落ち〟が付くという計算された笑いだった。

 

あらためてご冥福をお祈りしたい。

 

それにしても昨日は、京都産業大学の学生がヨーロッパへ卒業旅行をして感染し、無症状だったため卒業祝賀会などに出ていたので、集団感染の状態になりつつあると発表された。

 

 

 

しかも帰国後に地元に帰った場合には、そちらでも感染を引き起こしているらしい。旅行中に感染すれば、自分の父母や祖父母を巻き込むかもしれない、という感覚はなかったのだろう。

 

何が怖いかと言って、早い段階で、このウィルスは若い人の場合は症状が軽いということがさんざん言われたため、若い人たちが〝なめて〟かかっているような気がすることだ。

 

たしかに、若い人たちはむやみに恐れる必要がないことも事実かも知れない。だが若い人が感染し、ウィルスをばらまいたらどうなるだろうか。

 

結果的に自分の両親などを巻き込むことになるかもしれない、ということを考えるべきだろう。ただそうなった時に、自分はどう思うだろうという発想にはならないらしい。

 

だから、せっかくヨーロッパへの卒業旅行を計画したのだし、自分たちは大丈夫だから行こう、という安易な発想で出掛けたのだろう。

 

こうした大学生の発想と同じレベルだから、「自分、大丈夫っすから」などと、テレビニュースのインタビューに軽いノリで答える若い人たちも出て来るのだと思う。

 

その一方で知人の方が、こんな時期だからお客が来なくなって人員過剰になった、大都市で働く若い人が一時的にそこを離れて、期間限定で農業支援に行くというアイデアをSNSに書いておられた。

 

 

これは実現性のある意見だろう。農村部では、働き手が高齢化していることは周知の事実だし、大都市で自粛ムードの状況が長く続けば、そこにいても十分な収入が得られない若い人も出て来る。

 

 それなら農業支援に出掛けて、住む場所と食事を提供してもらいながら、田舎暮らしと農業体験をすることも、十分に考えられる施策だと思う。

 

これは一つの新しい視点だと思う。「刺激の多い都市部に住みたい」という若い人の気持ちもわかるが、そのために必要な収入が得られないのなら、次に仕事が見つかるまでの期間限定だと思えばよい。

 

それによって過密な大都市では、移動性が高い若い人が引き起こすリスクを減らすことにもつながるし、農業側では一定期間でも働き手を得られることになる。

 

都市部の行政、仕事が無くなり収入が減少する若い人、高齢化が進む農業、というまさに三方Win-Winの状態が生み出せるかもしれない。

 

こうしたアイデアを拾い上げて、行政同士でマッチングを行えたら、それはそれで面白い試みになるのではないだろうか。

 

やっぱり東京に住みたい、だってクレープもタピオカもあるから、という人種は放置せざるを得ないとしても、援農希望者を受け入れたいと思うそれぞれの行政は、真剣に考えてもいいのではないだろうか。

 

志村けんさんの追悼と思って書き始めたけれど、書いている途中に、色々な用事やら来客があったので、話がこんな方向へずれて行ってしまった。

 

でも〝体験以上、移住未満〟という形で、大都市に出て行った若い人を、あらためて農業支援という形の回帰へ誘導することは、こんな時期だからこそ考えてみる価値があると思う。