宵山のちまき買うてと声からし | がいちのぶろぐ

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明日は、京都の夏のハイライト「祇園祭」の山鉾巡行の日。それで今夜は「宵山」。今日の京都は日射しがあって、30℃を越える真夏日になっている。明日は、予報では曇りとなっているが。

 

この間ずっと天候が不安定だったが、昨夜は雨も降らない見通しだったから、昨日のブログで書いておいたように、一足早く「宵々山」の祇園祭見物に出掛けた。

 

 

 

7時ごろに家を出て、バスで四条河原町まで行き、そこから四条通を西に、長刀鉾を目指して歩き始めた。四条通は、午後6時から交通規制されて歩行者天国になっていた。

 

 

 

 

昨夜は比較的しのぎやすい気温だったし、歩き始めた当初は道もすいていたので、これは助かるぞと思った。回りには、浴衣姿の若いカップルの姿も多い。と思っていたら、長刀鉾が見える辺りまで来ると、やはり人、人、人でごった返していた。

 

 

 

 

長刀鉾の脇を、やっとの想いで通り抜けると、今度は、山鉾が立ち並ぶ中心となる「四条烏丸」交差点は、まるで人の渦になっていた。

 

 

 

かなり広い交差点なのだが、その中をそれぞれが目指す方向に移動するから、他人の動きが予想できない。だから交差点内で何度も、人とぶつかってしまう〝人身事故″に遭った。

 

交差点を抜けてしばらく行くと、土産物の店が開いていたので、どんなものがあるのかと、中に入ってみた。やはり祇園祭限定グッズ(というか、パッケージが祇園祭バージョン)が並べられていた。

 

 

 

長刀鉾の絵柄などの限定パッケージというのも、これはこれで外国人観光客など、買い求めたくなる人も多いだろうから、土産物として〝あり″かもしれない。

 

この土産物店は、「うなぎの寝床」と称される、細長く奥深い京町家を改装した店で、中ほどに昔ながらの井戸が残されていた。こうした井戸は、昔の京町家には必ず存在していた。

それに竹竿で蓋がされていたが、蓋の上に貼り紙が。

 

 

 

「井戸の上には、物を置かないで」ということなのだが、それを「井戸には神様がおられますから」と理由書きがされていた。少し笑ってしまった。たしかにそうなのだ。子どもの頃に、私もよく言われた。

 

 

 

植村花菜さんの大ヒット曲「トイレの神様」がそうだったように、〝おばあちゃん″から言い聞かされたことだ。〝おくどさん(かまど)″には「かまど神」という神様がいるし、井戸には水神様がいると。

 

そんなことで土産物店を出て四条通を西へ。月鉾を見上げながら、そのすぐ脇にある細い通り「膏薬辻子(こうやくのずし)」へ曲がり込む。

 

 

 

辻子(ずし;図子とも)とは、京都の「碁盤の目」になった〝正規の道路″の間にある細い通りである。次の正規の道路まで通り抜けるだけの短い街路である。京都の中心部には、こうした辻子がけっこう多い。

 

 

 

この「膏薬辻子」は、5月に「町家保存地区」に指定されたばかりである。京都の都心部、いや〝ど真ん中″にありながら、タイムスリップしたような街並みが残っている。そして、この辻子の住民が協定を結んで、自発的に外観の保全を行っている。

 

 

 

鍵形に折れ曲がった膏薬辻子を抜け、四条通の一筋南になる綾小路に出て、「伯牙山」を通り抜けて東へ行くと、「船鉾」に出会う。

 

 

 

毎年のことながら、この船鉾では、可愛いお嬢ちゃんたちが声を揃えて「粽(ちまき)、買うてんか~」と呼びかけている。これを見た観光客が、「小さな子に、あんなことをさせて」と、私の横でささやき合っていた。

 

 

 

そうかなあ。たしかに夜だし、小さな女の子が声を嗄らして叫ぶのだが、そこは、この子たちもお祭りに参加している、という一体感を感じていると思うのだが。

 

この船鉾のすぐ横にできたホテルには、1階の大きなガラス窓の中に猫のオブジェが飾られていた。その姿が、ちょっとばかり不気味だった。

 

 

 

船鉾から岩戸山を通って、仏光寺通を東へ行き烏丸通に戻る。ここから四条通まで北へ引き返して、地下鉄・バスを乗り継いで帰宅した。宵山にいたのは、1時間半ほどのことだった。

 

 

 

これでも、四条通から南側だけを見物したことになる。四条通から北側に三条通まで、まだまだ鉾や山も立ち並んでいる。それも細い街路いっぱいに立っているので、見物人が小さくなって横を通るような感じだ。

 

この四条通の北側一帯の古い家々では、「屏風祭り」として、家宝の美術品や屏風・襖絵などを〝表の間″に展示している。かつては、室町の繊維問屋として栄えた旧家ということだ。

 

昨夜はそれほど気温も高くなく、宵山見物としては珍しく過ごしやすい夜だった。だが、メタボな私は、それでもしっかりと大汗をかいていた。