プチ出家アクティビティと言われても | がいちのぶろぐ

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このブログでもよく取り上げている、インターネット情報誌「TRIP EDITOR」で、ちょっと変わった紹介記事を見かけた。

 

「ストレスフルな日々をリセット。心目覚める京都『プチ出家』の旅」と題されていた。「出家」とは「家を出る」、すなわち俗世から離れて仏門の世界に身を置くことだ。早い話が、〝お坊さん″や〝尼さん″になることを意味していた。

 

かつて社会問題化した〝あのカルト教団″で、その構成員に対して「出家信者」という言葉が使われたので、あまり良くないイメージが付いたようにも思うけれど、決してそういう意味ではない。

 

ここでは「プチ出家」と言っているけれど、記事は「ストレスフルな毎日を過ごしている方。一旦すべてを止めて、京都へプチ出家の旅へと出かけませんか」という言葉で始められていた。

 

 

(京都・南禅寺/ここも座禅体験ができる)

 

手っ取り早く言えば、京都のお寺で1泊2日程度の「仏教修行体験」をしてみませんか、ということである。〝忍者体験″などといった「ごっこ遊び」のような体験モノよりは、ずっときちんとした「体験ツアー」ということだ。

 

たしかに京都にあるお寺の中には、座禅体験ができるお寺や、精進料理が食べられるお寺など、様々な体験ができる場所も多い。中にはお寺に泊まって、早朝から座禅体験ができるお寺もある。

 

もっと言えば、高野山の寺々には「宿坊」という「宿泊施設」になっているお寺もたくさんある。これらも、遠くから高野山にお参りに訪れる参拝客のために、宿所を提供することから始まったと思われる。

 

 

’高野山金剛峰寺)

 

高野山だけでなく、京都にもかつては多くあったと思う。ただ京都の場合は、早くから大きなお寺の周りに旅館が営業を始めるようになり、それとともに「宿坊」から「旅館」へと、宿所が変化したと思う。

 

だから現在も東・西本願寺の周辺などには、本山に参拝に来る団体客が宿泊できるような旅館が立ち並んでいる。こうした団体客用の旅館は、その後、修学旅行生を泊めるようになっていった。

 

 

(京都・西本願寺)

 

ということはさておいて、だから京都のお寺で「1泊2日」程度で、お寺での修行体験の旅はいかがですか、ということがこの記事の趣旨なのだ。それを「プチ出家」と名付けてみたのだ

 

面白い企画記事だと思う。だからこそ、記事でも「気軽にできてリフレッシュ効果も高い」体験ですよ、と言っているのだ。

 

「日常とは完全に切り離されたお寺のなかで、座禅を組んだり、お経を読んだり、心を無にしてお経を書き写す『写経』体験ができる」から、こうした体験ツアーの人気が高いということになる。

 

こういう体験ツアーは、今や「京都らしいアクティビティに変化」したと書かれていたが、〝なるほどなあ″と感心した。「23時間のみの気軽な体験も充実」しているとなれば、これはもう完全に観光コースではないか。

 

いや、もっと手軽なお寺もあることを知っている。ほぼ毎日行われている、1時間あまりの「座禅体験」に気軽に参加できるお寺もある。こうなれば出家などと言う世界とは全く違う、「観光客向け」のものだと言える。

 

 

(京都・妙心寺の塔頭で見かけた座禅体験の案内)

 

これはまさに、「アクティビティ」と呼ぶ方がふさわしいと思う。だから、この記事も最後では、「自分にあった体験を選ぶようにしましょう」と締めくくられていた。うん、ウンそうでしょうね、と思わずにはいられない。

 

せめて、前の日にお寺へ行き、午後には「写経」などを行った後に説法を聞き、夕食には精進料理をいただいてお寺に宿泊し、朝は5時ごろから起きて廊下の雑巾がけをし、その後1時間ほど座禅を組む。

 

それから〝おかゆ″の朝食をいただいてから解散、という1泊2日くらいのコース設定にしないと、あまりお寺での修行体験の意味がないようにも思うけれど。こんなコースを設定すれば、多分、1人2万円くらいは要するだろう。

 

それなりの旅館に泊まって、それなりに観光しても、それくらいは掛かるのだから、当然と言えば当然の料金設定になる。

 

先日訪れた宇治市の黄檗山萬福寺は、「普茶料理」という精進料理で有名だが、やはり食事だけで1万円では済まないから、そうしたものだと思う。

 

 

(宇治市・黄檗山万福寺)

 

もっとも、これは京都に限った「アクティビティ」ではないと思う。もちろん、町中にある小さなお寺では無理だろうけれど、それなりの山里などにある禅寺などは、こうしたことを考えてみるのも、一つのアイデアだと思う。

 

都会での仕事や生活で、ストレスに押しつぶされそうになる自分を、ひと時でも解き放つことができるのなら、そのくらいの料金は構わない、という人も少なからずいるだろうから。

 

それならむしろ、京都というそれなりの大都市で、大観光地である場所よりも、少し寂しいくらいの、山の中のお寺の方が立地としても良いかもしれない。そうしたお寺で1泊2日を過ごすというのも、これはこれで嬉しい人には嬉しい体験だと思う。

 

「プチ出家」と言えば、何やらかつての「アンノン族」のようにも思えるから、むしろ京都や鎌倉のお寺ではない方が、本当に心を休めたい人には受けるかもしれない。