道頓堀エンタメの街再生へ | がいちのぶろぐ

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また嫌な事件が起こった。今朝、川崎市で通り魔事件と思われる、無差別の殺傷事件が発生し、児童一人が死亡、多くが負傷した。犯人も自死している。

 

自分の孫が、もしこんな事件に巻き込まれたらと思うと、ほんとうに背筋が凍る思いがする。亡くなられたお子さんのご家族の心中を思えば、言葉の掛けようもない気持ちになる。ただただ、ご冥福をお祈りしたい。

 

それにしても、嫌な事件や事故が立て続けに起きている。そして幼い命が、何の理由もなく奪われてゆく。しかも、こうしたことは自分の身近で起こらないとも限らない。それだけに、重苦しい嫌な気分になる。

 

さて、昨日までとうって変わって、きょうは雨模様の一日になり、気温も昨日より一挙に10℃も低くなって、むしろ肌寒いくらいになっている。

 

雨の止み間もあるけれど、また思い出したように降り始める、といったことを繰り返している。「干天の慈雨」という言葉があるけれど、まさに田植え時という時期に、カラカラに乾いていたのだから、今日の雨は慈雨に違いない。

 

新緑が過ぎ、緑が濃くなり始める時期である。今日の雨を葉っぱに受けて、緑がさらに輝きを増してくることだろう。

 

ところで、今日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌で、「道頓堀が『外国人観光客頼み』から脱却を目指す理由」と題された、流通ジャーナリストの森山真二氏の記事を読んだ。

 

 

 

関西国際空港(関空)がLCC(低価格航空路線)の呼び込みに注力した結果、関空の利用客は急速に増加している。その多くは、中国・韓国からの訪日客になっている。

 

こうした外国人観光客は、関空に到着すれば、とりあえず大阪観光をすることになる。現在は、大阪の観光名所である大阪城やUSJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)を抑えて、「道頓堀」が一番の人気スポットになっているそうだ。

 

私自身、大学卒業以来40年間ほど、大阪を拠点として仕事を続けてきた。その人間からすれば、大阪が賑わうことは嬉しいことである。そして、〝あの道頓堀が″という想いでもある。

 

道頓堀と言えば、まず思い浮かぶのは「食い倒れ人形」だったり、巨大な動く「カニ」の看板だったり、万歳をしている「グリコ」のランナー姿のネオンサインだったりする。

 

 

 

また、今日の記事にも書かれていたが、道頓堀は「五座」と言われた芝居小屋があった、娯楽=エンターテインメントの街でもあった。その「五座」も次々と閉館して行き、映画館や演芸場になった時期もあったが、もう今では姿が消えてしまった。

 

 

 

それでも、道頓堀川を挟んだ北側の「宗右衛門町」一帯が、クラブやスナックなどが立ち並ぶ町であるのに対して、「道頓堀」の通りはカニやフグの看板が示す通り、大型の飲食店が並ぶ家族連れの町である。

 

ところが今日の記事では、この「道頓堀」に現在はドラッグストアが林立している、というのだ。新しい店舗がオープンすればドラッグストア、という状況らしい。

 

それもこれも、中国からの観光客が日本の化粧品・医薬品・衛生用品を、こうしたドラッグストアで大量に買い求めるから、ということらしい。

 

一時期のような、家電製品の爆買いはなくなったけれど、医薬品や化粧品などは、日本で買う方が「安全・安心」だからと、大量に買って行くそうだ。

 

それは、何となくわかるような気がする。日本のドラッグストアの店頭で販売している製品は、「玉石混交」などということは有り得ない。だから中国から来た観光客が安心して買える、ということだ。

 

それにしてもこの状態では、「道頓堀」がかつてのエンターテインメントの街ではなくなってしまう。こうした危機感から、地元の商店会では道頓堀の再創造に向けて、歩みはじめたという記事だった。

 

確かに、〝ドラッグストアとたこ焼き″の店だけでは、味気ない町になってしまう。それに、「道頓堀」から少し南になる難波には、「なんばグランド花月」や「新歌舞伎座」があり、その周辺も道頓堀にとってはライバル地区になる。

 

 

 

地下鉄・御堂筋線の「心斎橋」駅と「難波」駅の間の、御堂筋を挟んだ両側がいわゆる「ミナミ」と呼ばれる地域になるが、その中も細部を見れば、色々な特徴を持った地域にソーン分けができる。そして、その〝中心争い″になっている、という見方もできる。

 

東の方には、イートインできる店が並んで外国人観光客に大人気になっている「黒門市場」もあれば、西の方には、若者の街「アメリカ村(アメ村)」や、お洒落ストリートに変貌している「堀江」などもある。

 

 

 

だから、かつてはそうしたミナミの中で〝筆頭″だった「道頓堀」としては、このまま単に外国人観光客の買い物ストリートになったのではだめだ、という想いがあるのだろう。

 

 

 

その思いから、「『外国人観光客頼み』から脱却を目指す」ということにつながって行ったと思う。2025年の「大坂・関西万博」を控えて、しばらくはこのドラッグストア街も、それなりに人を集めるだろう。

 

だけどそれだけでは、日本人客の客離れが起きてしまう。それが南方のナンバ周辺や、西方の堀江・アメ村周辺に散ってしまうという危機感を、地元の商店会でも持っているということだろう。

 

今が良い、というだけではなく、10年後にどう変化し、それにどう対応していけるのかを考える。今からそれに向かって準備し、できることはドンドンと始めておかないと、ある日突然に、真ん中部分の「道頓堀」が陥没するかもしれない、という危機感だ。

 

 

 

変革は、常に〝周辺部分″から起こって来る。その周辺とは、黒門市場であったり、堀江・アメ村であったり、ナンバであったりするかもしれない。その時になってからあわてたのでは遅い、ということだろう。

 

エンターテインメントの街「道頓堀」が、どのように再創造されるかを楽しみにしたいと思う。