今日もまた 清水寺は 人多く | がいちのぶろぐ

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今日は、6月初旬に予定している小学校時代のクラス会の相談がしたくて、散歩を兼ねて級友のところへ行ってみたが、あいにく出掛けていて会えなかった。

 

今ごろのことだから、事前に電話を入れれば不在かどうかぐらいは簡単にわかる。あくまで、散歩を兼ねて出掛けたのだ。

 

このブログでも何度も書いているが、私が卒業した小学校というのが、大観光地の清水寺のすぐ下にあった。今日訪れようとした級友は、今も清水寺のすぐ近くに住んでいる。

 

 

 

 

だから散歩も兼ねて八坂神社の前の「祇園」バス停まで行き、そこから八坂神社を抜けて、高台寺に行く途中にある「伝統的建造物群保存地区」の「石塀小路」を通って、清水寺に至る二年坂・産寧坂の方へ上って行った。

 

(石塀小路で見かけたポスター)

 

その途中で喫煙場所があったので、そこで休憩がてら級友に電話をしてみたら、外出しているということだった。だから、クラス会についてはざっとした話を電話で済ませた。本当は、細かい相談をしようと思っていたのだが。

 

それで二年坂の辺りで、相変わらず観光客が大勢いる様子を眺めたり、スタバ茶屋の前で観光客が写真を撮り合っているのを眺めたり、というようなブラブラとした散歩になった。

 

 

(土産物店御前で写真を取り合う外国人観光客)

 

ちょうどスタバ茶屋の向かいあたりに、以前は有名な料亭だったところが、喫茶店や土産物店になっていて、庭が開放されているので、そこへ入ってみた。

 

 

 

 

その料亭だったところの茅葺きの建物や庭を眺めたり、そこを出た後は、すぐ脇にある霊山廟の方へ行ったりと、昔は毎日の遊び場だった一帯をぶらぶら歩いていた。二年坂を上がって行く、修学旅行中の中学生の集団も見かけた。

 

 

 

私は、もう級友の家がある産寧坂を上がって行くのをやめ、清水寺から下って行く方向になる脇道へ入った。

 

かつて通った小学校が、ホテルへと衣替えをしている工事現場の様子を、裏手から眺めてみた。級友と電話で話した時に、秋ごろに改装工事は竣工して、年内には開業する予定だということだった。

 

 

 

当初の予定では、今月ごろ開業するはずだった。だから今年のクラス会は開業ほやほやのホテルでやろうか、という話になっていた。

 

今年がちょうど、小学校卒業から60年に当たるので、記念と思い出にこのホテルで行いたかったが、これは来年に持ち越しとなった。

 

それで、昼ご飯の前に帰宅したのだが、改装工事を裏手から見る限りでも、小学校の校舎の外観が、そのまま新しいホテルに生かされている感じがよくわかった。

 

東大路通りから清水寺に至る、かなり急な坂道に沿って小学校は建てられていた。だから、校庭と校舎の間にかなりの高低差があった。

 

 

 

校舎は、校庭を見下ろす大階段を囲むように、コの字型に建っていた。ホテルの完成予想図でも、その雰囲気を残すように配慮されていると、級友から聞いている。ただ、校庭だった部分にも、新たに一棟の建物が建つことになっているらしい。

 

いずれにしても、清水寺まで徒歩5分余りの距離にできるホテルである。それなり以上には、人気も出ることだろう。

 

だから来年こそは、そのホテルでクラス会を行いたいと思う。卒業からの〝還暦祝いと称して。

 

卒業名簿には43人の級友の名前が載っていた。現在も消息が分かっているのが、それでも20名あまりはいる。すでに数人は幽冥境を分けた。卒業以来まったく消息が分からなくなった級友も10人ほどいる。

 

それでもなお、これだけの人数を把握できていることの方が喜ばしいことだと思っている。中には消息が分かっていても、クラス会には顔出しをしたくない、という人間もいるらしい。

 

それはそれで、本人の考えだから仕方がない。それでも、一声掛ければ15人ほどが集まってくるのも嬉しいことだ。

 

 

 

さて、それでは今年のクラス会の準備に取り掛かることにしよう。でも、なぜ私が幹事になっているのか、いまだに私にもわかっていない。それが不思議だ。