戦略も 花見客から 見えてくる | がいちのぶろぐ

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昨日の雨が朝まで残り、昼前になってようやく青空が広がってきた。昨日の雨が、「花散らしの雨」になるかと心配していたが、今日の午前中、所用で京都の中心部に出掛けた時に見た鴨川河川公園の桜は、まだ十分に花を着けていた。

 

この週末までは、何としても持ちこたえるぞ、という花の側の意気込みすら感じてしまった。ただし、日曜から月曜に懸けて、また雨模様という予報なので、今度こそ花散らしの雨になるだろう。

 

今年は、京都市内の桜の名所に随分と出掛けた。二条城、上賀茂神社と鴨川堤、京都府立植物園と半木(なからぎ)の道、平野神社、嵐山、京都御苑(御所)、哲学の道と、有名な桜スポットは行き尽したような具合だ。

 

 

(嵐山の桜)

 

しかし全国各地には、有名な桜の名所がそれこそ数限りなくあるだろう。それぞれの地域で、長い間に渡って愛されてきた桜の名所は、全国的には名前を知られていなくても、その地域にとっては貴重な財産だと思う。

 

私が今年出掛けた、京都市内の桜のスポットで、面白い傾向を発見した。それはやはり外国人観光客が多い場所と、日本人の、それも高齢の方々が出掛けて来られる場所とに、きれいに分かれていることだ。

 

これほど情報が流通していても、外国から日本観光に来ている場合は、のんびりとお花見を満喫する、というわけにいかないのかも知れない。

 

お花見も、それ以外の観光も、ということになって来ると、京都の場合であれば、観光スポットと桜スポットが上手くつながっている方が、当然ながら外国人観光客には都合が良い。

 

だから、「嵐山」と「二条城」には当然ながら外国人の姿が多かった。その他の場所で言うと、「哲学の道」は銀閣寺と南禅寺・平安神宮を結ぶ「散歩コース」になる。

 

 

(二条城の桜と観光客)

 

そこで外国人にとっては、朝に平安神宮と南禅寺を見てから、哲学の道を桜を見ながら散歩して、最終的には銀閣寺を見る、というコース設定ができる。こうすれば、半日余りでかなりの観光スポットを回ることが可能になる。

 

 

(哲学の道で見かけた外国人観光客)

 

また、上賀茂神社と下鴨神社はバスで20分余りで結ばれているので、桜ということでなくても、両方の世界遺産を見ておこうということになり、こちらも外国人の姿を多く見かけた。

 

 

’上賀茂神社の桜と写真を撮る人々)

 

また京都御所や京都迎賓館は、京都御苑という広い公園の中にあり、最近はどちらもいつでも参観できるので、それらの観光スポットと合わせて、京都御苑の桜苑を訪れる外国人観光客の姿も増えてきている。

 

こう考えると、私は行かなかったけれど、清水寺の桜と円山公園の枝垂れ桜という組み合わせも、それこそ歩いて20分ほどの距離だから、外国人観光客で溢れ返っていただろう。

 

その点、平野神社には外国人は少ないだろうと思っていたが、こちらは金閣寺と近いこと、さらに金閣寺から嵐山に(またはその逆に)向かう途中にあるということで、思いのほか外国人が多く訪れていた。

 

 

(平野神社で写真に収まる外国人観光客)

 

これこそ情報を検索して、こんなところにも有名な桜のスポットがあることを発見し、訪れているのだろうと思う。まさに、情報の〝受信力″が高くなっている現れだと思う。

 

一方で、京都府立植物園と半木の道など、観光スポットではなく市民の憩いの場となっている場所は、たとえ桜が綺麗でも、お花見だけに時間を費やすわけにもいかないから、さすがに外国人観光客が少なかった。

 

 

(植物園の桜と日本人観光客)

 

考えてみれば、私たちが外国に観光旅行をした場合に、せっかくだからあれもこれもと詰め込むのと、考え方は同じだと思う。

 

どこか1カ所に留まってのんびり過ごす、というスタイルの海外旅行だってあるだろうけれど、やはりその国、その場所が初めてという時なら、せめて有名な観光スポットには行っておこうと思うだろう。

 

そう考えると、昨日このブログに書いたように、「地元に人を呼びたい」と考える場合、まずその「人」とは日本人の観光客なのか、外国人を対象とするのか、といったことも考える必要がある。

 

さらに言えば、その観光客が宿泊することまで考えるか、日帰りを想定するかということでも考え方が違ってくる。

 

桜の名所であっても、お花見にやって来てぶらっとその周りを散歩して、せいぜいお昼ご飯を食べて帰る、という日帰り客を想定すれば、それに応じた対応策が出て来るだろう。

 

逆に、交通の便や宿泊施設などに課題があるケースなら、そのための受け入れ準備から考えなければならないことになる。

 

人を呼ぶには、誰がどんな状況でそこを訪れるのか、ということをイメージできないと、結果的に何も生まれてこないだろう。

 

人を呼ぶためにも、想像力を働かせて、さらに基本的なマーケティング戦略も考えて、それに応じた準備と、情報発信を行わないと、その結果がどうなるかは見えている。

 

京都の桜の名所を何カ所か回ってみるだけでも、何を考えるべきかというポイントが発見できる、ということを実感としてわかった。

 

京都は確かに大観光地には違いない。放って置いても、必ず観光客が来てくれる地域には違いない。しかしその京都でも、そこには片寄りというか、観光客の存在にムラがある。

 

それに、金閣寺や清水寺、嵐山、二条城、伏見稲荷といった、どんなガイドブックにも載っている観光スポットはともかくとして、それ以外の場所は、京都という地域にあっても、そこに人を引き寄せるための戦略はきっと必要なのだ。

 

昔、函館に行った時に感じたことだが、函館の観光スポットを見て、夜に函館山から夜景を見て宿泊し、翌朝、早起きをして朝市へ出かけて、買物をして海産物を食べれば、12日で終わってしまう。

 

 

(函館の朝市の賑わい)

 

そこを、少し離れた「大沼国定公園」の辺りまで足を伸ばしてもらうようにコース設計をすれば、函館にもう1泊してもらうことができる。こうした、あと一つの〝付け足し″だけでも、随分と変わってくる。

 

 

(大沼と駒ヶ岳)

 

観光のマーケティング戦略とは、そういうものだと思う。その地域で最大限の効果を生み出すために、どうすればよいかを考える。そこに絞って知恵を働かせることだと思う。