ちばてつや先生のマンガに「おれは鉄兵」という、私にとっては名作と思える漫画ある。主人公は、運動神経がめちゃくちゃに良くて、天真爛漫な「上杉鉄兵」という野生児の少年である。
色々と経緯があった末に、彼は中学校の剣道部に所属するのだが、大人が決めたルールなどは知らないし、知ろうともしない。
だから、剣道の基礎や基本などというものは知らない。というか、興味がない。ただし、強いのである。竹刀を持って相手と向き合えば、運動神経というか、反射神経の素晴らしさを発揮して、勝ってしまうのである。
大人の思惑などには無頓着に振る舞い、次々と結果を出してゆく。そのプロセスは痛快極まりない。ただし彼は、勝つためにどうすればよいかという点は、彼なりに必死で考える。
ここで〝考える″というのは、時に卑怯とも思えるような戦術も編み出してゆくのである。それでも規定に反していなければ、反則を取ることもできない。反則ではないが、大人の〝常識″では行わないだろうし、決して誉められないような戦術も駆使する。
ちょっとわかった人間が見れば、無謀にしか映らないようなことでも、持ち前の反射神経の良さでやってのけてしまう。
しかも彼は小柄なのだ。時に大きな相手と当たった時など、これでもかというくらいに、大柄な相手が嫌がるようなことをして見せる。試合場をぐるぐると駆け回って、相手の背後から打ち込もうとしたりする。
相手にしてみれば、やり難いことこの上ない、といったことをする。また、正統派で強い相手と試合で当たれば、先に言った卑怯な戦術を駆使してゆく。
だけど、卑怯者だとして憎めるかと言えば、これが憎めない性格をしているのである。つい「鉄兵よ、今度は何をやらかしてくれるのだ」と期待まで持ってしまう。
卑怯な手(彼にすれば妙案)を思いついた時には、目が「への字」になる。顔がグフフというようにゆがんだ顔つきになる。この辺りの、ちばてつや先生の作画は絶妙である。
1973年に少年崇刊誌「少年マガジン」に連載が始まったらしいから、もう半世紀近く昔のマンガなのだが、唐突にこの漫画のことを思い出した。そうなると、切れ切れながら色々な場面が思い浮かんでくる。
おもしろかった、楽しかった。そして「鉄兵、ガンバレ―」と応援していた。「大人の思惑」や「大人が決めたルール」の中で、良い子として過ごすのではなく、自分に素直に生きているのである。
決して学校の成績が良いわけではない。いやあまりに出来が悪く、問題ばかり起こすので、一つ目の私立中学は退学になっている。それこそ、勉強嫌いの〝天然ボケ″の塊りのような少年なのだ。
そんな主人公とストーリーのどこが良かったのか。上手く説明できないが、痛快なのである。読後感が清々しいのである。普通に考えれば、剣道であれば真っ当に稽古をして、強くなるべきなのだ。
その点、彼は決して誉められる態度ではない。だが、そこには「大人の世界」という束縛から解き放たれた、野生児という存在だけが持つ、天衣無縫の明るさがある。それが何よりの魅力だった。
なぜこんなことを思い出したのだろう。今、この漫画の単行本をものすごく読みたくなっている。古い漫画だから、なかなか手に入らないかも知れない。
それでも、有難いことに京都には「まんがミュージアム」がある。一度探しに行ってみようと思う。