ロック魂 抱え心に 風わたる  | がいちのぶろぐ

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YAHOO!ニュースに配信されていた、「関ジャニ∞、初野外フェスで提示したアイドルとロックの可能性」というオリコンの記事で、面白い表現を見つけた。

 

この記事の締めくくりの部分で書かれていた、「悔しさや、葛藤や、悲しみや、鬱憤や、反発や、ロックが、そんなある種の“負のエネルギー”を発散するジャンルとしての意味合いを持つのだとしたら、成功を収めた時点でそのバンドは主張したいことがなくなってしまう」というくだりである。

 

今は、音楽ジャンルとして定着している「ロック」である。半世紀以上前にビートルズが出現し、ローリングストーンズが現れた。1970年代には、音楽ジャンルとして完全に認められるようになり、次々とグレート・アーチストが登場してきた。

 

一つの頂点として、昨年の暮れにはボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するに至った。

 

 

ロックとは、音楽ジャンルとしてではなく、一人の人間の「生き方」として存在すると言われることもある。それが記事に書かれていた「悔しさや、葛藤や、悲しみや、鬱憤や、反発や、そんなある種の“負のエネルギー”を発散する」ということと、オーバーラップしてくるのだろう。

 

同じように、“負のエネルギー”を抱えた中から生まれてきた、ロックの先駆けとなる音楽シーンにジャズがある。エラ・フィッツジェラルドが、サッチモが、チャールス・ミンガスが、盲目のシンガーレイ・チャールズが作り上げてきた世界がある。

 

 

 彼らは一様に、生きる苦しさとともに、それでも明日を信じ、勇気を込めて人々に訴えかけた。「俺たちにも明日はあるんだよ。あきらめちゃだめだよ、ブラザー」と。そんな充満した“負のエネルギー”の中から、押し上げられるようにして、バラク・オバマは大統領に就任した。

 

ロックが「発散する“負のエネルギー”」だとしたら、ジャズは「分かち合う“負のエネルギー”」だったのかもしれないと思う。

 

だからロックには、「成功を収めた時点でそのバンドは主張したいことがなくなってしまう」という、今日のオリコン記事の表現があるけれど、ジャズには「成功は永遠に訪れるものではなく、ましてや成功を求めてジャズを共有しているのではない」という、ロックよりも深い“哀しみ”を内包しているような気がする。

 

もっとも、この記事では、そこで言われている「成功」とは何か、という問題がすっぽりと抜け落ちているけれど。もしもそれが、「悔しさや、葛藤や、悲しみや、鬱憤や、反発」といったことであるなら、それらを感じなくて済むような“ステータス”を手に入れることができたときに、それが成功だということになるのだろう。

 

しかし、ジャズにはそうした意味での「成功」は終に訪れない。トランプを大統領に押し上げた「力」は、ある意味でアメリカのマジョリティの中に鬱屈していた「葛藤や、鬱憤や、反発」だったかもしれない。だがそれは、ジャズの中に閉じ込められている「悔しさや、悲しみ」を含んではいないだろうと思う。そんな気がする。

 

「ロックの魂」が内包している諸々の感情は、“負のエネルギー”であることは間違いないだろう。それでも、青空と汗が光る“フェスティバル”という「場」が似合う感情でもある。

 

閉ざされた空間、薄暗い電球、やり場のない哀しみ。それらが醸し出すジャズの“負のエネルギー”は、地中のマグマがうごめくように、まだまだ十分には解き放たれる時を迎えていない。

 

ボブ・マーリーがレゲエを歌うとき、そこにほとばしるエネルギーは、ウサイン・ボルトが指さす先へと飛び去った光が、雲を突き抜けて駆け上がり、雷鳴をもたらす瞬間を喚び起こすことになるだろう。

 

 

 これこそ、ロックが“生きざま”となる瞬間だ。「ロックな生き方」がもたらすエネルギーは、なおも“負のエネルギー”であり続けるかも知れない。けれど、青空の明るさは“救い”をもたらしてもくれる。

 

世界が、日本が、逼塞している中で、ジャズの“哀しみ”を自分の中の“哀しみ”としつつ、「ロックの魂」の可能性を信じていたい、と思う。

 

昨日、このブログで書いた中川政七氏や貝沼航氏の、伝統工芸に賭ける活動のように、人生がロックなんだ、と思わせるような生き方も存在する。しかも、貝沼氏は「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」という活動ともコラボしておられる。

 

それは、人が光を失った時に紡ぎだされるものを探し求める活動である。暗闇の世界では、視力に障害があってもなくても、置かれた状況は変わらなくなる。そこでわかることを紡ぎだす活動である。

 

レイ・チャールズは歌う。“I can't stop loving you”と。