お互いさま その心根で 暮らしたく | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

今日配信のウェブメディア「ジモコロ」の記事に、テレビ東京の「カンブリア宮殿」の放映内容の“読み物バージョン”が掲載されていた。

 

その中で、東京・神田神保町で「未来食堂」という定食屋さんを経営している小林せかいさんを紹介していた。このお店は、食事をした後で50分間お店の手伝いをすれば「ただめし券」を貰えるという。

 

次に来た時に使ってもいいし、店の前に置かれたボードに貼っておいてもいい。ボードに貼られた「ただめし券」は、別の人が使用しても構わない。何かの都合で食事代に困ったときには、そのボードにある「ただめし券」を使えば、定食が食べられるという仕組みだそうだ。

 

「恩送り」という考え方なのだろう。誰かに受けた“恩義”を次の人につないで行くことで、「困ったときはお互いさま」を実現するのであり、「情けは人のためならず」を実行することでもある。

 

私の家から遠くないところにある「餃子の王将」のフランチャイズ店でも、食事が終わった後で、しばらく皿洗いの手伝いをすれば、その時の自分の食事代が無料になるサービスを行っている。

 

(京都・四条大宮にある「餃子の王将発祥の地」の第1号店)

 

これは、学生街に店があることから店主が思いついて、困っている学生向けに行っているサービスである。月末などには、助かる学生も少なくないだろう。

 

ただし、その権利を他人に譲ることはできない。だから、こちらはユニークな取り組みの「サービス」ではあっても、「恩送り」というところにまでは至っていないが。

 

最近は、「子ども食堂」という活動も耳にする機会が増えた。この活動の最初となった東京・大田区の「子ども食堂だんだん」も、「カンブリア宮殿」に取り上げられていて、店主の近藤博子さんが、今日の「ジモコロ」に一緒に掲載されていた。

 

様々な取り組み方があり、それぞれが頑張っておられるが、当のご本人はあまり肩肘張って活動していられるのではなく、ごく自然体でこうしたことと取り組んでおられるように見受けられる。

 

しかし、世の中は景気が上向いているとか、GDPが年率で2%越えだとか報じられている一方で、子どもの貧困だとか、シングルマザーの苦闘ぶりも報道されている。

 

どれもが事実であり、どれもが現実なのだと思う。人手不足が深刻化しているという話の隣で、生活の困窮が語られる不思議さ。だったら働けよ、働き口はあるのだから、と単純に思ってしまう人も少なくないのだと思う。

 

しかし、働きたくても働けない状況を抱えながら、子育てをしないといけないシングルマザーも存在する。病気を抱えている場合などは、そうしたケースの典型例に当たるだろう。

 

そこへ、自民党の党内の会議の席で、「がん患者は働かなくていい」とヤジを飛ばした人間が現れた。

 

この発言の主である大西英男議員は、数か月前にも、選挙応援で札幌に行ったときに訪れた神社の巫女さんが、「自民党はあまり好きでない」と言ったとかで、「“巫女のくせになんだ”と思った」などということを、党内の会議の席で発言をしたとかで、問題になった御仁である。

 

こんなレベルの人が、国会議員であることが不思議で仕方がない。居酒屋で親父族が話す与太話でも、ここまでひどい話をする人間は、周りからあきれられるくらいのものだ。それが今回の「がん患者」発言である。どうにも許せない気持ちになる。

 

そんな国会議員とは全く正反対の位置に、未来食堂の小林さんや子ども食堂の近藤さんが存在する。

 

私には、この人たちのような行動力も意識も、ましてやノウハウも持ち合わせていないが、社会にとっては本当に必要な活動なのだと思う。

 

“あんな発言”をする大西議員の歳費が、年間に3千万円ほどになる一方で、普通に暮らすことが一杯いっぱいの庶民は、こうして助け合う気持ちを無くしてはいない。

 

大西議員は、人情に篤いと思われる東京の下町・江戸川区の生まれ育ちだということだ。地元の区会議員や都議会議員を長く務めてから、東京16 区選出の衆議院議員になり、東京都連副会長になった人物だという。さすがに今回、副会長は辞任したらしいが。

 

経歴から見ると、きっと、近所では世話好きな親父さんだったのではないかな、と好意的に思ったのだけれど、インターネットにある情報を調べてみたら、差別的な失言だらけの人物だった。これはだめだ。芯から差別体質の人だったのだ。

 

この人がせめてもの罪滅ぼしに、国会議員を辞職して、地元で「子ども食堂」を開設して、世話好きないい親父さんとして余生を送らないかなあ。もうすぐ71歳になるのだし。

 

それにしても、「恩送り」であったり、子どもたちの居場所つくりであったり、ホッとする話と、とんでもなく酷い話が、私の頭の中で一緒になって回っている日になってしまった。

 

今日は、この後、本当に久しぶりの雨になりそうだとか。乾いた心に慈雨が染み通るような、そんな話が少しでも増えるといいなと思う。