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昨日出席した「CSRの基礎」出版記念シンポジウムは、主催者が当初考えていた参加者を遥かに超える出席があった。(CSR=企業の社会的責任)

 

 

主催した「神戸CSR研究会」は、神戸大学大学院経営学研究科の社会人コースの、國部克彦教授のゼミで修士論文を書いた方々が集まって始められた研究会で、大阪と東京で合計年10回程度開催されている。

 

 

研究会の代表者や事務局担当者はおられるが、全体としては緩やかな組織で、例会の参加者はほぼ毎回新たな方もおられるなど、年会費を取って運営するような形式ではなく、あくまでボランタリーな研究会になっている。

 

私も國部先生とは20年越しのお付き合いがあるものの、別に國部ゼミの門下生でもなく、それでも年に1~2度は大阪の例会にお邪魔させてもらって、毎回様々な発表者の方から、色々な考え方を勉強させてもらっている。

 

その神戸CSR研究会に中心となって関わっておられる方々が、研究会発足10年を記念して、分担して執筆されたのが今回発刊された「CSRの基礎」という書籍である。

 

全体で2部15章からなっているが、これは大学の授業が半年間(春学期・秋学期)で15回程度を想定されているので、毎回の授業で1章分を講義なり購読すれば、ちょうど半年分になることも意識されている。

 

第1部は「企業からのCSR」と題されていて、企業のマネジメントとCSRとの関わりを、戦略・マーケティング・会計などといった企業マネジメントの切り口から考えている。

 

第2部は「社会からのCSR」と題されていて、企業のCSRが社会に与える影響という観点から、ステークホルダー、環境、消費者などとCSRの関わり方について論じられている。

 

この15章にわたる書籍自体が、「CSRの基礎」と題されているように、ある意味で辞書的な意味合いを持ったものとなっている。自分が興味を持っている部分だけを読んでもいいし、何かCSRに関して考えたい時に、考えるヒントを得るために関係する部分を読む、といった使い方もできる。

 

使われている略語(例えばCSRやCSV、COPなど最近よく目にするもの)のフルネームと日本語の対比表や、索引も丁寧なので、その点も辞書的に利用が可能である。

 

あれ、何だか本の宣伝になってしまっている。この際だから、出版社は中央経済社、価格は3,000円+税となっている。アマゾンでも掲載されているので、是非お買い求めください。役に立つことは保証いたします。

 

さて昨日のシンポジウムは、編著者である國部克彦氏をはじめ5名の登壇者が、各30分ずつ自分の担当セクションの内容を解説された。それぞれの方のお話は興味あるものもあったけれど、今日は國部氏の「CSRとガバナンス」というお話に絞って考えてみる。

 

 

 「CSRが想像する価値とは何か」という点は、国際統合報告評議会によって、「価値は、組織単独で、組織の中だけで創造されるものではなく、外部の影響を受け、ステークホルダーとの関係性を通じて創造され、多様な資源に支えられている」と定義されている。

 

國部氏の丁寧な解説によれば、「組織に対して創造される価値は、他者に対して創造される価値を大きくすれば、それがまた跳ね返って、組織に対して創造される価値が増大する、という正の循環をするものだ」ということである。

 

もっと私なりに噛み砕くなら「情けは人のためならず」ということになるのだろうと思った。大変よくわかる。

 

さらに「コーポレートガバナンス・コード」としては、特に「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」として、以下のように考えられているという。

  1. 中長期的な企業価値の向上の基礎となる経営理念の策定

  2. 会社の行動準則の策定・実践

  3. 社会・環境問題をはじめとするサステナビリティを巡る課題

  4. 女性の活躍促進を含む社内多様性の確保

 

また、「CSRのためのソーシャル・ガバナンス」としては、「企業がステークホルダーに対して報告し、それを受け取ったステークホルダーが企業にフィードバックを行い、それを企業が受け取る」という循環が形成されることが望ましい、ということだった。

 

この場合、外部者(ステークホルダー)に先行して、内部者の中において「公的存在」となるべき組織が真っ当に機能することが必要だという。

 

企業という「私的存在」の中であっても、そこにおいて中立的な立場で企業に対して「公的立場」を保てる位置づけが与えられた存在が必要だということである。

 

この点を國部氏は、「会社の生み出した価値が社会を構成している以上、会社の中に公共空間が必要」だと説明しておられた。会社の内部にあって、なお第三者的立場で冷静に見つめられる存在がいないと、自分の都合の良いように進んでしまう、ということだろう。

 

先日、東芝の一連の粉飾決算騒動で、公認会計士という「監査人」を東芝が自己都合で取り換えると言いだして、それが上手くいかなかったことが大々的に報道されていた。

 

会社内部での「第三者の目」ということは、こうした中立ないしは外部者の目を持って「監査人」を務められる存在の必要性ということだろう。

 

國部氏はまとめとして、「CSRはグローバル社会のひずみを解消する手段として位置づけられるべき」とした上で、「CSRの主眼は価値創造へ向かっている」が、「そのための制度設計が重要」であり、「企業の内部に公共空間を創り出すことが必要」だと述べておられた。

 

これを一言で言えば「外圧ではなく内破へ」ということだそうだ。私なりに噛み砕きに噛み砕いて言うなら、「獅子身中の虫こそが、会社を救い、育てる存在となる」ということだと思う。

 

CSRにおいては「憎まれっ子、世にはばかる」社会が正しい社会の在り方なのだろうと思った。ただし、ここでいう「憎まれっ子」は決して「モンスター・クレーマー」ではない。だが、ある意味で「正義のための監視人」であることは間違いないだろう。