日本に来た汪は、まず東京 秋葉原に観光に行くことにした。東洋一の電気街との呼び声たかく、今は「萌え」の発信地。「おたく」という言葉が、市民権を得たのもこの街があったからだ。
汪の思ったとおり秋葉原は、自由の発信地だった。メイド喫茶や電気街、パソコンショップが居並び欲しい電化製品は安く手に入る。日本を一部、象徴しキャラクタービジネスを積極的に展開している日本ならではだった。
汪は将来、中国の発想で新しい「ミッキーマウス」「スヌーピー」「ドラえもん」「鉄腕アトム」といった発想のキャラクタービジネスを展開させようと考えていた。
「ここが日本の象徴ね。来た甲斐があったわ。」汪はひとりごとをつぶやいた。汪は日本人とも交流したかったので少しではあるが日本語を覚えてきた。会話はなんとか成り立つので、日本人とビジネスの話がしたいと考えた。今回、来日したきっかけは日本文化を知るためでもあり、日本の市場を知るためでもあったからだ。取引先のメーカーに、優秀な日本人がいると聞いて神田の工場に行くことにした。
さて、日本人は、日本語以外の語学に堪能ではない。英語教育には熱心だが、まともに会話できる人材は限られているのだ。ここに典型的な日本人、遠山がいた。遠山は、上司の杉谷に汪の話しを聞かされると日本人的なシャイさで「私でないと、ダメですか。わたしの仕事も立て込んでいまして・・・」とそっけない回答であった。しかし、その回答は聞き届けられることはなかった。
中国語人の汪は、日本人と議論することが目的のひとつであったから日本文化やアジアンとしての考え方。中国語人と日本語人としての交流などビジネス以外でも、話題にしたくてたまらなかった。
さて、その頃英語人のピターはお米の国、米国のノースカロナイナ州でゆっくりと自分の休暇を楽しいんでいた。
中国語人 汪との出会いまであと2ヶ月のことであった。
(つづく)