スーパーの肉コーナーで

60代のご夫婦が、前かがみに腰を曲げて、

じーっと肉から目を離さず

眉間にしわ寄せ真剣な面持ちで、静かに討論をしていた。



本気の目。

ぱっと見は、ケンカでも始まりそうな、と思ったけれど、一瞬で違うと分かる。


子ども達、孫達のはなし。

家族に食べさせるための話し合いを夫婦でしていた。


あ~だから

私は二人に引き付けられたんだ。




大切なものを大切にするための話し合い。

真剣に。

同じ方向を向いた同士の眼差し。


とても幸せな気持ちをもらった。

それと同時に、「光と影」について考えた。





幸せや生きている醍醐味というのは

笑顔や穏やかさの中だけはない。

ポジティブやネガティブの分類はないと私は思っています。



このご夫婦は

「どのお肉を買うか、夫婦で討論できて幸せ」

とは思っていないと思う。

(決めつけてしまっているけど雰囲気的にも)


けど、それを幸せだと感じる人もいる。



例えば、わたしが悩み苦しむことがあったとして、

それは「とても幸せ」という見方が必ずあるということ。


これ、誤解されなくないのは

「幸せだと思いましょう」

と言いたいのでないです。


それはとても乱暴なことだと思う。




大変で辛くてもうどうしようもない、と思うような事があって、

もちろんこれを「幸せ」とか「有り難いこと」なんて全く思えないし、思いたくもない、


そんな時でも

そんな事でも


必ずそこには「幸せ」とか「生きている醍醐味」がセットであるということ。

これは必ず。


幸せを思えなくてもいいし、思おうと努力するものでもない。



ただ知っておくだけでいい。



そこには必ず


「幸せ」や「生きている醍醐味」がセットにある。




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