このシリーズ、いよいよ完結編
Ⅰ 教育長からお話をいただいた時点で、私は教育委員がなんなのか、ということをほとんど知らず、教育長から説明をしていただいた(しかし、それでもよくわからなかったというのが本音である)。
ところで、前々回のブログで紹介したように、法律上、教育委員の任命は地方公共団体の長(首長)がすることとなっている。しかし、首長は教育行政に関する直接の権限はなく、従って、教育委員の人選は、実際に教育行政に携わる教育長の意見などを参考にすることが多いのだろう。実際のリクルートも教育長がすることになるのかもしれない。教育委員会の不透明性という話が出る場合、やはり教育委員会内部で、人選も含め、様々なことがクローズドな形で決められているという印象があり、この点がマイナス評価につながっている可能性は否定できないと思う。議会のチェック機能をもう少し効かせることで透明性を確保できないものだろうか。
話は元に戻るが、私は、教育長に単刀直入にお尋ねした。「なぜ、私なんですか?」と。その際にいただいたお答えは概ね以下のとおりである。
◆コミュニティ・スクールの学校運営協議会委員や委員長を務めており、学校の現状について体験的に理解している。その経験を教育委員会に活かして欲しい。
◆JCの委員長を経験しており、若い経営者とも交流があることから、ビジネス的な観点を持ち合わせており、これからの学校経営には必要な視点だと思っている。
◆全国的にみると、弁護士の教育委員も相当数おり、教育委員会としても法律面からのサポートは必要だと思っているので、弁護士としての視点も活かして欲しい。
◆年齢の若い人に教育委員になってもらいたい。
Ⅱ 確かにこんなことをおっしゃった。こうやって文字にして、人ごとのように眺めてみると、教育委員に適任と思えなくもないから不思議だ。
しかし、この時点で、この話は私には荷が重すぎるのではないかと考えた。行政の中で「働く」ということに息苦しさも感じた。そう考えたはずなのだが、私は、短い考慮期間をいただいた上、お引き受け受けすることにした。
理由は概ね次のとおりである。
◆一小学校のコミュニティ・スクールの活動を通して、小学校単位でものごとを進めることに限界を感じた。学校、教育を充実させるためには、もう一段、高い階層(レベル)から物事を考える必要性を痛感した。
◆自分のことは、案外、自分自身ではわからないのではないか、他人から見た評価が本当の自分という場合だってあるのではないかと感じた。教育委員に、というオファーがある以上、しかも、それが長く教育行政に関わってきた方からのものである以上、私に、何かそれなりに教育委員として発揮できる能力があるのかも知れない、と思ったのである。自分のことは自分が一番よく知っていると思いがちだが、これまでの人生でも、自分で気づかなかった能力を他人から指摘された経験は多々ある。
こうして、私は教育委員をお引き受けした。教育委員の就任に当たっては、学校運営協議会の委員長との兼任が認められないため、任期を4ヶ月残して辞任した。ご迷惑を掛けたにもかかわらず、校長先生はじめ学校運営協議会の委員の方々、先生方は笑顔で送り出してくださり、また、激励のお言葉もたくさん頂戴した。そうした方々の期待を裏切るようなまねだけはできない。何よりも、自分のためでなく、学校のため、子どものため、地域のために活動されている皆さんのこと、私が怠けようものなら許しはしないだろうし。また、私自身も、自分のためではなく、広く世の中のために行動できるような人間であり続けたいと思う。そういう人間が少しでも増えることで、世の中は、いまよりも、もう少し良くなるのではないかと思いたい。![]()