平田靱負(平田靱負屋敷跡・平田公園) | 武将銅像天国

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戦国武将の銅像を紹介できれば、、、、
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こんにちは。

今回もこのところ続けています薩摩遠征からです。
とは言え、今回は戦国武将銅像はおろか幕末維新の偉人像もでてきません。

江戸時代・中期、薩摩藩の老中の銅像になります。
よろしくお願いします。

 

平田靱負(平田靱負屋敷跡・平田公園)

平田靱負さん、、、皆さまご存知でしょうか?

薩摩の方ならご存じなのですかね?そして、昭和の時代に義務教育を受けた尾張の方々ならご存知の方も多いと思います。

平田靱負さん、薩摩藩の老中で、幕府の命により遠く離れた木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水工事を普請奉行として、成し遂げた御仁。

その治水事業は「宝暦治水」として、昭和尾張のチビッコは学校で習ったものでした。

正直「平田靱負」さんのお名前は忘れてしまっていたけど「薩摩義士」のお話はわずかながら覚えてましてん。

近くには、こんな感じで彼を顕彰するお言葉が、、、銅像は昭和30年の制作だそうです。

あと銅像の裏には薩摩義士のお名前が、、、

幕府の命とは言え、なぜ薩摩藩がこのような治水工事を請けることになったのか、、、

工事中にお亡くなりになったり、腹を切った御仁も多数、、、

平田靱負さんご自身も、工事で亡くなった多くの藩士、工事に要した債務や工数時間の責を感じ、腹を切ったそうです。

そんなことから、平田靭負さんと薩摩義士の顕彰を薩摩のお屋敷跡だったところに銅像&顕彰碑をたてたわけです。

 

銅像は薩摩というか南九州スタイルのすんげえ立派な台座があって、かつ銅像自体も相当デッカイです。

顕彰碑近くの説明板には「美濃、伊勢、尾張の300ヶ村の救世主」とあります。

当時も今も、木曽三川は水量も多く、治水工事には相当な技術と犠牲が必要と見込まれますが、薩摩の技術は突出していたのでしょうかね、、、

 

鹿児島遠征に行ったのは2月の終わりごろでしたが、名古屋に戻ってきても、平田靱負さんや宝暦治水が気になりまして、岐阜県や三重県の宝暦治水ゆかりの地を実は3月になって訪ねたのです。

 

【平田靱負(平田公園)】

 

【平田靱負(大巻薩摩工事役館跡・平田靱負終焉地)】

 

【平田靱負坐像(大巻薩摩工事役館跡・平田靱負終焉地)】

 

【薩摩義士像(治水神社)】

 

【平田靱負 木像(平田靱負菩提寺=海蔵寺)】

 

もうダイジェストをやっちゃった感じですが、薩摩遠征の様子が落ち着いたら、宝暦治水銅像まとめをやる予定です。

 

おまけコーナーは南九州&東海地方ご当地パン@セブンイレブンからです。

(宮崎名物じゃりパン(じゃりクリーム / きなこクリーム)@セブンイレブン)

鹿児島名物ではありませんが、宮崎名物=ご当地パンのじゃりパンが鹿児島のセブンイレブンで売ってました。

セブンイレブンのブランドで売ってますが、製造者は宮崎エーケーエム・モンドールさん。わかる人にはわかるのかと、、、

 

(コッペパン(つぶあんマーガリン / あんバター塩パン)@セブンイレブン)

そして、東海地区代表(と思っていた)あんバターコッペパン。南九州と東海地区を代表するコッペパンを並べたかったけど、、、失敗です。ご当地パンマニアの方、ごめんなさい。

 

今回はここまで。

次回も薩摩遠征からです。

しばらく薩摩遠征続きます。よろしくどうぞ。

 

 

 

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