このところ続けております関ケ原合戦御朱印めぐり。
前回で終わりを告げたところでしたが、よくよく考えてみたら、今回入手した武将印の中には南宮山勢もいましたし、ウォーランドの南宮山の猛者たちも紹介しきれていませんでした。
ですので、今回は「関ケ原合戦御朱印めぐり」の番外編=南宮山編をやっていこうかと思います。
ちなみに陣跡印(?)は、関ケ原観光協会ではなく、垂井町観光協会が出したもの。
入手したのは1年以上も前のことですが、ウォーランドのコンクリ像は最新ですので、こちらで堪忍願います。
よろしくどうぞ。
①竹中重門居城・竹中氏陣屋跡
第1弾は関ケ原と関係あるっちゃあるけど、、、って感じのところ。
垂井町の推しは「南宮山」だけじゃないのです。
(ちなみにこの番号は垂井町観光協会が作成した関ケ原陣跡確認シートの順になってます)
【竹中半兵衛(竹中氏陣屋跡)】
ということで、陣屋跡にあるのは軍師・半兵衛さんの銅像。
いきなり関ケ原合戦から外れてしまいゴメンナサイ。
②垂井一里塚・浅野幸長陣跡
続いては浅野幸長さん陣跡になります。
南宮山組では一番西=関ケ原よりになるのでしょうか。
ウォーランドではまだまだ健在でしたが、名札がなくなっていました。
もうウォーランドのコンクリート像のメンテの前に名札のお手入れを優先してもらった方が良いのかと思います。
【浅野幸長(関ケ原ウォーランド)】
③御所野・池田輝政陣跡
続いても東軍登場、蝶々の前立てがカッチョイイ、恒ちゃん次男の池田さん陣跡です。
南宮山の麓というよりは、21号線の南宮大社参道に入るトコロの近くって感じでしょうか。
池田さん、ウォーランドにもいたのでしょうけど、ウォーランドの南宮山周辺はどんどん寂しくなっているような気がします。
でも岡山城天守にあった甲冑レプリカはかなりカッコよさでしたよ。
池田さん、関ケ原戦国武将印もありましたよ。
(関ケ原戦国武将印・池田輝政)
池田さんは、どこいっても蝶々づくしなんですかね。
④南宮山・毛利秀元陣跡
お次はなかなか大坂を離れないテルさんにかわり指揮をとることになった若大将・秀元さんの陣跡印です。
恥ずかしながら私、秀元さんの陣跡は行ったことないのですよ。何でも南宮大社近くの登山口から1時間近くかかるとのこと。
長宗我部さんの陣も含め、今後の課題といたします。
ウォーランドの秀元さんも健在でした。
【毛利秀元(関ケ原ウォーランド)】
早くモノホンの陣跡へ行けるよう、私自身鍛えなおします。
全国ご当地銅像はコチラで如何?
【毛利秀元(長府毛利邸)】
正直、秀元さんが銅像になっているとは意外でした。
銅像は明治の文化=新政府に縁深い御仁は銅像になりがちということでしょう、、、
当然秀元さんのも関ケ原戦国武将印もありましたよ。
(関ケ原戦国武将印・毛利秀元)
ココにも三本の矢=サンフレッチェですか。
お次は、、、
⑤南宮山・吉川広家陣跡
毛利軍にありながら東軍に内通していた広家さんの陣跡印です。
コチラの陣跡は行ったことあります。確か南宮大社近くの学校付近がそうだったかと。
ウォーランドでは南宮山勢で一番最初に出会えます。
【吉川広家(関ケ原ウォーランド)】
お話どおり秀元さんの進軍を止めるカタチで陣取ってます。
吉川さんの地元・北広島町の海応寺エリアにある「戦国の庭歴史館」には広家さんの甲冑レプリカもありましてん。
さて、お次は、、、
⑥南宮山・長束正家陣跡
お次は失策続きの長束さん陣跡印。
南宮山東麓に陣を布いたとのことですが、コチラも私史上、未踏の地です。多分。
はい、次!
⑦南宮山・安国寺恵瓊陣跡
お次は外交僧にして、南宮山勢なのに関ヶ原後斬首された御仁、恵瓊さんの陣跡です。
こちらは南宮大社の近くなので、行ったことあります、はい。
ウォーランドにもおられましたよ。
【安国寺恵瓊(関ケ原ウォーランド)】
いるにはいたのですが、今や名札看板まで無くなっていました。
なんかね、ザンネンです。
当然&当然、恵瓊さんのも関ケ原戦国武将印もありましたよ。
(関ケ原戦国武将印・安国寺恵瓊)
西軍の首謀者として斬首された恵瓊さん。
治部さまもコニたんも地元で銅像になってますので、広島不動院あたりで銅像にしてやってください。
お次は、、、
⑧南宮山・長宗我部盛親陣跡
カラ弁当組にして、大坂五人衆の長宗我部さんの陣跡。
秀元さん陣跡とともにハードルの高い陣跡らしいです。
南宮山攻めが、今後の私の生きる目標のひとつになってます。よろしくです。
ウォーランドはこんな感じ
【長宗我部盛親(関ケ原ウォーランド)】
ちゃんと秀元さんと横並びになってますよ。
大坂五人衆といえば、後藤又兵衛さんの姿もウォーランドでみることができますよ。探してみてください。
ココからは直接関ケ原合戦とは関係無いかも、、、
⑨平塚為広居城・垂井城跡
⑩竹中半兵衛居城・菩提山城跡
⑪黒田長政(松寿丸)ゆかりの地・五明稲荷
半兵衛さんによって救われた官兵衛ジュニアがお隣の関ケ原で活躍・暗躍するとはなかなかです。
で、この垂井町観光協会がだしてる陣跡印(?)の確認シートが以下のようになります。
いよいよこれにて関ケ原合戦印シリーズ終了です。
ありがとうございました。
次回はどうしましょうか検討中です。
では、また。