岡崎乙川リバーフロントプロジェクトから新しくできた「桜城橋」と「徳川四天王像」を見に行くため、八丁味噌王国の首都へ。
いつもは岡崎公園駐車場に車を停めるのですが、今回はさくらまつりの時期もあって、東岡崎駅近くの駐車場をナビにセットしました。
康生通りを抜けてぐるぐる回らされてたどり着く直前「籠田公園地下駐車場」の入口付近で見つけたのが、この御仁の石像です。
田中吉政(岡崎 籠田公園)
田中吉政さん、、、ご存知でしょうか。
正直、私知りませんでした。
帰ってからWikiで見ましたが、なかなかの御仁なんですね。
元々は近江の生まれ、豊臣秀次さん付きの筆頭家老、つまりは関白付きの第一の家老さんにまでなった方なんですね。さらに秀次さん事件の際も御咎めナシ、むしろよくぞ諫言したとして禄を加増されたとか。
もっと注目すべきは、関ヶ原の戦いというか、その後の功=佐和山城の落城とともに、伊吹山逃走中の石田三成さんの捕縛に成功するなんてことやってはるんですね、知りませんでした。
三成さん捕縛の功より、筑後柳川城32万石の国持ち大名となったそうです。
で、このブログは銅像の紹介がメインテーマなのですが、何とあの立花宗茂さんに代わり筑後に入った田中吉政さんの銅像が柳川の街にあるらしいではないですか!
柳川、、、行っとかなきゃいけないですかね、、、、、
田中吉政さん、石像のある岡崎でもそうですが、秀次さん付き家老時代の近江八幡、関ヶ原後の柳川でも城下街・街道・水路等など街づくりに尽力、そうしたことに長けた御仁だったようですね。
岡崎では東海道を岡崎城下町を通るようにさせたり、「二十七曲」なるクランク状の道を整備したとのことです。
結構、節目&節目にドラマチックな展開もあり、大河ドラマにイイんじゃないですかね。
まあ、岡崎からでは家康さんが何度もなってるんで、柳川から声が上がるかってトコですか、、、、でも田中さん推すなら、まず立花さんからでしょうね。。。
籠田公園から桜城橋へ向かうため、南に歩を進めると、東海道・岡崎宿脇本陣の碑があるのと同時に、道筋に20個もの石で出来たモニュメントがありました。
東海道の街道名物のモニュメント、コメントなしでイッキに進めます。
【岡崎宿伝馬歴史プロムナード】
おっと、ココで登場!田中吉政さん。
コメントなしでスルーするつもりでしたが、ちょっとツッコミを。
20基のモニュメントのうち、個人名のものはコチラだけ。
アップにすると、、、
ワルそうな面構え!とても街の恩人とは思えない、、、
⑯人馬継立
あたらしくできた桜城橋を見てきた後は、当然、岡崎城へ登城しました。
(岡崎城登城記念(桜バージョン))
岡崎城の御城印(桜バージョン)。
キレイで上品な桜いろです。
最後に田中吉政さんの石像バックショットを。
目の前に広がるのが籠田公園、銅像の後ろ側(南側)が地下駐車場の出入口になります。
岡崎の銅像・石像のあるあるかもしれませんが「銅像=北側向きがち」と言えるかもしれません。
屋外銅像の向き、もうちょっと考えても良いのでは?
まだ、しばらく岡崎シリーズ続きます。
次回は、、、、