岐阜県南西部、関ヶ原合戦場近くの「関ヶ原ウォーランド」の武将コンクリート像のご紹介、6回目になります。
今回は、主戦場から少し東へ離れた南宮山に陣を布いた面々です。
ウォーランドの中でも、入口から主戦場に向かう道から少し離れたところに位置しており、本当の南宮山同様、コチラへ向かう人は少ないかもです。
毛利秀元(関ヶ原ウォーランド)
ウォーランドでも目立たないトコロにある南宮山。その一番高いトコロにおります武将です。
少し小高い所になっている凝り様。
一文字三ツ星が見えれば、雰囲気がもっと盛り上がると思うのですが、、、
秀元さん、戦況伺っている&空弁当頂いてる模様です。
安国寺恵瓊(関ヶ原ウォーランド)
ウォーランドの南宮山は、樹木がかなり多めのため、くら~い雰囲気なんです。
南宮山の武将、数体おりますが、軍配を上げる方の割合、低くないです、、、何で?
吉川広家(関ヶ原ウォーランド)
東軍に内応していた広家さん。
この奥の小高いトコロにいるのが毛利秀元さんです。
山を下った延長線に関ヶ原の主戦場があります。
こんなトコロでジャマされたら参戦できないですね。
長束正家(関ヶ原ウォーランド)
長束さんも軍配振ってますね。
実際、浅野隊と一戦あったとのことですが、ウォーランドの南宮山はかなり静かめでした。
浅野幸長(関ヶ原ウォーランド)
ウォーランドの南宮山エリアでは、唯一(?)の純東軍の幸長さん。
ランド内のコンクリート武将像は、赤・青・黄・緑の原色を使うのが基本配色なようで、幸長さんもそのようです。
実際の衣装がどんなだったか、博物館で甲冑や陣羽織は見えるものの、袴までは見えないですから、、、
実際の南宮山にも、関ヶ原から立ち寄る人は少ないかもです。
でも、お宮さん・お寺さんめぐりも好きな人は、是非、南宮大社及びその周辺に寄ってみるのをススメたいです。
天下分け目の関ヶ原合戦、毛利さんの地元の中国地方の方々は、この合戦、どう思うんでしょうね。空弁当で参戦ボイコットとか、大将に内緒で敵軍に内通とか、大将でなく参謀の坊主が捕まって処刑とか、、、
何かツライ。。。
こちらもよろしくです。