Greatchain
2018/04/29
「イルミナティ理解のために」http://www.dcsociety.org/2012/info2012/160213.pdfという記事をご覧いただきたい。これはNWO陰謀団と戦う人々にとって、必読の文献である。彼らと戦うには、彼らを知ることが肝心だとして、彼らの弱点を最初にあげている。それは、彼らが知能を誇り「極端に傲慢」で、人々を侮ることだと言っている。確かにその通りであることがわかってきた。私も、この論文に出会うより前に、彼らの特徴は「愚弄」ということだと指摘していた。(これについては別に論じなければならない。)「人を食った」という表現が最もよくあてはまる。
最初、我々はそれがわかず、ほとんどの人が彼らを、尊敬とは言わないまでも、信頼していたと思う。これは、そもそもアメリカという国家の構造を、我々が知らなかったことによる。アメリカ合衆国とは、ルシファーを神とする凶悪な陰謀団が、人民の国家をひそかに乗っ取り、人民政府になりすました国家――知的優秀さを存分に利用して、巧妙に人民と癒着した国家である。したがって、米軍とは彼らの私兵のことであり、アメリカの中央銀行「連邦準備銀行」は、彼らの私銀行だった。
冒頭の論文で、最初よくわからなかったが、納得できるようになったことがある。彼らは「戦争ゲーム」を好んでやると言っている。しかし彼らのチェスは、本物の人間や兵器を駒に用いるチェスだという。我々のような人命に対する敏感な倫理観をもつ者には、それは理解できない。しかしそれは比喩でなく、現実であることが、時間とともに明らかになってきた。これまで誰も考えなかった言い方をすると、彼らは、犯罪的サイコパス・サタン信者で、手段を選ばず、神の創造物を奪う(破壊する)という、崇高な使命感をもっている。したがって、この論文が言うように、彼らは決して無神論者ではない。また「目的は手段を正当化する」から、彼らの辞書には「卑劣」という言葉がない。そういう見方で日米戦争を見るとよい。その始まりの真珠湾攻撃でFDR大統領の選んだのは、3千人の自国将兵の命を、チェスのポーンとして、自分たち支配者のために捨てることだった(「犠牲はより大きな善のために必要である」)。また、その終わりのヒロシマでトルーマン大統領が選んだのは、すでにその必要のなかった原爆投下という蛮行によって、彼らの神(サタン)を喜ばせることだった(フリーメイソンの正装をしたトルーマンの写真がある)。
彼らが、いかに民衆を侮っているといっても、プロパガンダという形で戦争の正当性を訴えて、彼らの加勢を得ることは不可欠のようである。しかし彼らの宣伝やニセ旗作戦は、よく考えると少し不思議である。これは、彼らのサタンとの契約に関係があると思われる。騙そうと工夫はするが、少し考えれば、そんなことがあり得ないことが、すぐわかるものが、ほとんどではないか? すぐにはわからなくても、時間とともにますます、のっぴきならない真実が明らかになってくる。9・11テロはその典型だが、小さな最近のもの(スクリパリ毒ガス事件、シリア化学兵器事件、ラスベガス大量射殺など)は、いかにもお粗末なニセ旗ではないか?
それは彼らが恐慌に陥って、慌てている証拠だとも言えるが、彼らはそもそも、「ばれる」ことなど意に介していないように見える。彼らの支配する主流メディアに発表させれば、それが真実で、それで十分だと考えている。そして我々の社会もそういう前提で動いている。これは彼らが、我々を軽蔑しきっている証拠である。そうした傲慢が彼らの弱点だと、この論文が指摘するにもかかわらず、我々は全体として、立ち上がる気力も知能もないように見える。なぜだろうか? 本当にそうだとしたら、あまりにも情けないではないか。これは、我々が単になめられているという話ではない。彼らが成功すれば、我々は奴隷にされ、健康や命まで奪われる可能性があるという話である。
一つには、我々の持っている礼儀や常識が、我々の行動の障害になっている。我々のもっている礼儀や常識は、彼らももっているだろう。まさか彼らが、我々を騙したり侮辱したりすることはないだろう。しかし、これは完全な間違いである。この論文も明言している:――
「どうして同じ普通の人間なのに、彼らのように考えることができるのだろうか?」と問う人がいる。しかし彼らは普通の人間ではない。そもそも彼らが人間なのかと問う人さえいる。彼らの世界観全体が、我々のものとは完全に異なっている。
さらには、我々一般の探求心の欠如がある。これは騙されやすさともいえる。ごく最近、ある小さなグループでこのような話をしたとき、私が一番驚かされたのは、今は昔とは反対で、アメリカが悪の側、ロシアが善の側だと言ったときの、聴衆の驚きようだった。それを立証するプーチンの言葉などを豊富に引用したが、一度刷り込まれたかつての常識は、容易には消えないだろう。批判的精神の不足は、善良な、争わない人間を作るだろうが、一つ間違えば、恐ろしい悪魔をも作る。
この件について、少し話しにくい話をする。民放のある番組で、先日、ロシアの大統領選挙があった直後に、この選挙では、プーチン側の不正が、全国で大々的に行われたと言って、沢山の写真を映し出した。その最初の一枚には見覚えがあり、自信はないが、1昨年のアメリカ大統領選挙のもののような気がする。しかし、この選挙は、ほとんど最初から勝負がついていて、選挙結果も、70数パーセントでプーチンの勝利だった。そのような圧倒的に勝ちが予想された選挙で、勝った側が、わざわざ自分の評判を落とすような細工をするだろうか? 選挙は、票数で勝てば、その後の評判はどうでもいいというものではない。特に圧倒的に信頼されたプーチンが、そんなことをするはずはない。この番組は、いくつか他にもそういうことをやっている。この場合は、さすがに司会者も、あまり議論もさせずに、話題を切り変えたのは救いだったが、これはいかに事情があるとはいえ、やめてもらいたい。
これはしかし、観点を変えれば、いかに「彼ら」が追い詰められ、絶望的なフェイク・ニュースを考え出さねばならないかがわかって、よいニュースでもあった。