1941年12月8日、日本海軍がハワイ真珠湾のアメリカ海軍基地を攻撃して、大東亜戦争が始まりました。
しかし、実際にはその数時間前に日本軍は本来の戦争戦略に沿った作戦である、南方のマレー半島のイギリス軍を攻撃して開戦していました。
日本軍はマレー沖海戦でマレー方面での制海権を握って、その2ヶ月後の1942年2月15日にシンガポールを陥落させます。
また日本はオランダに植民地支配されていたインドネシアに進軍して、ジャワ島に上陸後10日ほどで支配権をとりました。
そしてアメリカが植民地支配していたフィリピンにも進軍して1942年1月2日に首都マニラを陥落させました。
これによって開戦3ヶ月ほどで東南アジア一帯を支配下におきインドネシアの油田をほぼ無傷で手に入れる事が出来ました。
そして当時、難攻不落といわれていたシンガポールまで手中に収める事に成功しました。
当初第一の目標と掲げていた
「南方資源の獲得から東南アジア一帯を支配して自給自足体制の構築」
を早々と実現してしまいました。
しかし、大きな計算違いが全く別の所でありました。
それは日本海軍が真珠湾を攻撃してしまったことです。
これによってアメリカ世論は反戦から参戦にかわり、総力戦体制を整えるのが大幅に早まりました。
アメリカ国民が一丸となって戦時体制を整えるのに協力したからです。
当初日本側ではアメリカが戦時体制を整えるのに1年~1年半とみていた期間が大幅に早まり、1年を切るくらいまでになりました。
つまり1年以内に講和に持って行かなければ日本の戦争遂行能力に支障をきたすわけです。
生産力だけを比較したら圧倒的にアメリカの方が上だからです。
アメリカをあまり刺激しないで来襲したら撃墜する、という戦争戦略はこの意味で非常に重要でした。
それが初めから壊されてしまったのです。
本来、戦争する理由のないアメリカと初めから真っ正面でぶつかる事になってしまいました。
また、アメリカ国民に与えた心理的な影響でも日本にとってかなりマイナスでした。
それはアメリカやイギリスをはじめとする連合国側と戦争終結の講和を実施する機会を失ってしまった、と言うことです
日本としてはシンガポール陥落後、場合によってはフィリピンをアメリカに返して、講和にもって行くことも検討していました。
しかし真珠湾奇襲によってアメリカ国民の日本に対する心証がかなり悪化してしまったので、アメリカの国民感情からいっても、そう簡単に講和にもっていけない雰囲気になりました。
日本が仮にインド洋の制海権を取ったとしても、簡単に講和に応じてもらえるかわからない状況になっていました。
つまり、アメリカ側は総力戦を仕掛ける覚悟で戦争に臨んできたのです。
総力戦になれば長期戦になります。
長期戦になれば国力で勝るアメリカが有利になります。
だからこそアメリカを刺激しないで短期で決着をつけて講和にもっていく必要があったのです。
終わりのない戦争に突入してしまいました。
戦争とは、始めるよりも終わらせかたの方が重要な訳ですが、終わりの無い戦争ほど残酷なものはありません。
真珠湾奇襲によって終わりの無い戦争に突入してしまったわけです。
そして真珠湾奇襲を成功させた山本五十六連合艦隊司令長官が必要以上に神格化された事も日本にとってマイナスでした。
本来成功するはずのない真珠湾攻撃が成功してしまったので、国民は拍手喝采して、山本五十六を軍神のようにもてはやしました。
これによって五十六の海軍内での発言力が高まり、より一層、敵国からの工作を受けやすい状況を作ってしまいました。
ミッドウェー海戦やガダルカナル戦など絶対国防圏の外で行われる戦争に、山本五十六は積極的に誘導していきます。
ここでも本来の戦争戦略に入っていない地域での戦争を行ってしまうのです。
ミッドウェーやガダルカナル島など日本から遠く離れた場所を攻めても、補給路が伸びきって戦線を維持するだけでも大変です。
現に後日、日本が占領した島をことごとくアメリカ軍に取り返されていきます。
意味もなく太平洋方面へ戦線拡大する作戦は本来の戦争戦略には入っていません。
太平洋側はあくまで、極東へ誘い込んで撃破する守勢作戦なのですが、まったく正反対の事をしています。
本来はシンガポール陥落後、西に向かってビルマ・インドルートの中国への補給路を遮断してインドの独立を刺激して、インド洋の制海権を取ることが戦争戦略でした。
下記、ブログ記事参照
必勝の書~秋丸機関の戦争戦略とは? | 時間が無い人でもサクッとわかる現代社会の仕組み (ameblo.jp)
いたずらに戦線を拡大させてしまったので、日本軍の補給路が遮断されて、戦闘での死者よりも餓死者の方が多くなるという状況になってしまいました。
このように真珠湾奇襲は日本の戦争戦略を根本から壊してしまったので、その後の日本の戦争遂行に大きな足かせとなってしまいました。
※参考文献