秋丸機関は陸軍省内の経理局に作られました。
正式名称は「陸軍省戦争経済研究班」です。
経理局内に作られたのは、戦争を経済的裏付けを持ってしっかり分析しつつ、現実的に遂行可能な計画を作る事を主眼としていたからです。
つまり、作戦遂行途中、物資が不足して実行不可能な状況になることがないよう、綿密な分析を行っていました。
また、戦争中、国民生活が困窮してしまっては、戦う意義がなくなります。
近代の戦争は総力戦であり、生産性が維持出来なければ、そもそも戦う事ができないからです。
国民生活を維持しつつ、生産設備を稼働させて、長期戦に耐えうる自給自足態勢の構築が大前提でした。
ですから、秋丸機関では経済に詳しいエコノミストを高給で雇用していました。
経済の知識がなければ、戦争計画を作る事は出来ないからです。
この秋丸機関が立てた戦争戦略の原本は東京大学経済学図書館に保存されています。
インターネットからも閲覧出来るのでもし興味があれば見てみる事をお勧めします。
またこのブログの最後に、その研究について詳しく書かれた書籍を紹介しています。
秋丸機関の戦争戦略の大筋の内容は以下です。
まず、日本は欧米に植民地支配されている東南アジア諸国に進軍してインドネシアの油田を確保します。
その過程でマレーシア、フィリピンと進軍するので、その支配国であるアメリカ、イギリス、オランダと必然的に交戦状態になります。
この段階になって初めて、日米開戦となります。
日本と戦争を始めたアメリカは戦争の為の総力戦態勢を整えなければなりませんが、アメリカはもともと反戦の世論が大多数です。
総力戦態勢を整えるとしても、1年から1年半の時間が必要になるとシュミレーションしています。
その間に、日本は第一の目標として、東南アジア一帯を勢力圏として自給自足態勢を整えます。
石油を確保して、生産性を高めて国力増大に努めます。
シンガポールを落とす所までを第一の目標として掲げました。
そしてその後、直ぐに西に向かってインド洋を主戦場として、その制海権を取ることを第二の目標としています。
その過程で長年植民地支配されてきたインドの独立を刺激して、イギリス本国との輸送網の遮断をはかります。
インド洋はイギリスの輸送網の大動脈です。
ここを遮断されたら、物資の輸送が困難になります。
中国、ソ連への軍事支援もままなりません。
つまりインド洋は連合国側にとっての喉元にあたるのです。
インド洋の制海権を取られたらイギリスの戦争遂行能力に支障をきたしてきます。
開戦時から一貫して重要なのはアメリカに対しての対応です。
アメリカはもともと反戦の世論なので、下手に刺激しない方針をとりました。
専守防衛が大前提です。
アメリカ軍が攻めてきたらマリアナ諸島に防衛拠点を置き守ります。
海軍の伝統的な戦術である、極東へ誘い込んで撃破する守勢作戦で対処します。
マリアナ諸島にはサイパン島があります。
サイパン島を取られたら、日本本土に直接空爆される恐れがあります。
絶対国防圏とよばれる海域は死守しなければいけないので、それがマリアナ諸島になります。
つまりハワイやミッドウェー、ガダルカナル島などは絶対国防圏の外にあるので、この地域はまったく戦争計画には入っていません。
太平洋側は絶対国防圏さえ守ればよいので、その外側に出て行く必要は全くないのです。
太平洋という自然の要塞があるのですから、わざわざ日本軍自らこの盾を突っきって攻める必要はないのです。
場合によっては日本が占領したフィリピンをアメリカに返して、アメリカ側の戦意喪失に努める事も計画しています。
そもそも日本とアメリカが戦争する理由は全くないからです。
そしてアメリカが総力戦態勢を整える前に日本はインド洋を制海権に置き、輸送網を遮断する事が出来れば、イギリスを屈服させる事が出来ます。
日本のインド洋での作戦遂行が極めて重要であることがわかります。
この段階になってイギリスを始め連合国側と講和をして戦争終結をはかります。
戦争目的はあくまで「自存自衛」です。
そして戦争の無意味さを連合国側に実感させ講和を実現させ戦争を終結させます。
これが秋丸機関が立てた戦争計画の概略です。
極めて合理的に考えられています。
この戦争戦略は1941年11月15日、大本営政府連絡会議で正式決定します。
大本営政府連絡会議とは当時の最高意思決定機関で、もちろん極秘会議です。
ここで決まった内容に沿って日本は戦争を遂行する事になります。
反対にここで決まっていない内容の戦争をしてはいけないのです。
全ては戦略的に計画が練られているわけなので、この計画に従って遂行しなければ全く意味をなさないからです。
しかし、日本海軍は大本営政府連絡会議で決まっていない攻撃を実行します。
それが真珠湾奇襲です。
これによって日本の戦争戦略は完全に狂ってしまいました。
※参考文献