十蘭の文章は日記においてすら十蘭でしかない。
定本月報1を数年ぶりに読み返して、
「十蘭の推敲は補う行為ではなく、場に合わせて声の調整をしているだけ、何にしても完成されている」という趣旨の橋本治(桃尻姫のひと)の寄稿に深く深く頷き、
ただ耽溺するのみの自分を自覚する。
十蘭の作品は、自分にとっては殆ど考察をさせる隙が無い。
気が付くと、つるっと全て終わっている。
(これはツルッと、でもなくフルーエントリーでもなく「つるっと」な)
ゴールデンウィークにはもう少し色々できるかと思っていたが、「黒い手帳」を3回も通し読みしてしまって「魔都」の魔力に虜になって、間に「ノンシヤラン~」でバランスを取りなんてしていたものだから、
まず何にも手に付かないっすよ!
文学フリマに行こうかな。
新しい文章に触れておかないとこの世界から抜け出せなくなりそう。