私はパニックだった。
誰に打ち開ければ良いのだろうと。
原発の話しもあれから10年になってしまうのに詳細を知らない人は知らないままだ。
そして真実が消されていっている。
2011年、私は旧ソビエトのあの地で起きた出来事をネットや書物で見続けた。
“私の中では”
2011年、日本は死んだ。2016年その勢いを増した。
大好物な乳製品と魚介類に手をつけられなかった。
電子レンジを封鎖した。
電子レンジを見るとチェ⚫ノブ⚫リやチェレンコ⚫光
が頭によぎった。
桃とキノコも残した。
ヒバクの話が通じないことに苦しみを感じ、2013年2月に私は宮城県出身の人と西日本へ一時的に避難した。
放射線技師の夢はまだ抱きながら。勉強しながら。
2011年、北海道の空と雲は黄色かった。
月は赤くおかしかった。
私は嘘が苦手な道産子だ。
変わらない。変わるなら死にたいと思う。
北大出身、東大出身の方々に被災地に何故お金が落ちないのか等、色んな話を聞き続けた。
高学歴な人達と居ればヒバクしなくて済むし変な添加物も摂取せずに済むし、頭に栄養が行き渡るような感覚だった。
勉強をしてこなかった女性の目には私は金目的なだけの女に見えるんだそうな。
放射線と放射能の違いに触れたことがない人、物理学に触れたことがない人達とあまり関われる状態ではなくなっていった。今も。
守ってあげたい反面、私の中ではもう知らない馬鹿野郎という憎しみが勝っていく。
2013年、カバラ数字と民衆洗脳工学を知った。
私の中で日本が死んだ以上、私も勿論死んでいたようなものだ。
2016年、やむを得ず放射線量の高い食べ物を食べた。放射線量の高い地域に住んだ。
少しずつ諦めた。
事の重大さを理解してない人達が羨ましいけど、ああはなりたくはないと思っている。
思いながら生きてきた。
けど、知らない人も居て世の中は回る…。