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9+30
けふはチベットに戻る前に
さんの買い出しのお付き合いです。
昨日は㍇から一歩も出られなかったので、青空マーケットは混雑するでしょう。
⇒レジの列が20m以上です。土曜とあってガキンチョと旦那がもれなく付いてきています。。
仕方がない。 その後はアオキに足を延ばしてまたごっそりと買い込むのでしょうね。
は1830~歯医者に行くのでそれまでに西蔵に戻ればよいのです。
月曜用の飛行機は1機はもう充電済み(先週)なので残りは明日やればよいでしょう。![]()
遂に 衝動的にポッチしてしまった。
機体は3機目になります。以前の2機がよく飛んだので。。
今回は最初からL/G付きにしました。 楽しみ。。
F4U 1700mmではありません。
先日、購入した発見ブザー。。F86Fに搭載しておきました。
役に立たないことを願う次第です。試しに買った¥460のものです。
男性だけではなく女性も排除しなければ。。。早く半島に帰れ。。シッシッ
犬とでも結婚してろ。
ざまーみさらせ だよな。
知ってた?
伊藤忠商事に行かなくて正解だった。
「やられた、、連合国の最高機密が日本に漏れている」英国政府が緊急の電報を送ったのは1945年5月。終戦の3ヶ月前だった。
どういうわけか、英米露の首脳会談の内容が敵国に流出していたというのだ。
限られた人間のみが知ることを許された軍事機密。
一体どこから流出したのか?
連合国のトップシークレットを盗み出し英米を震撼させたのは、
ドイツの強大な情報機関でも東京の大本営でもなく、
たった1人の日本人スパイだった。
【伝説のスパイと大本営の裏切り】
その男の名は小野寺信(おのでらまこと)。
開戦直後にヨーロッパに派遣された小野寺は、表向きは駐在武官。
しかし真の任務はスパイとしてヨーロッパ中を飛び回り、対英国・対ソ連の諜報活動をすることだった。
彼の凄さは現地で築いた強大な諜報ネットワーク。
ポーランドをはじめ全欧に築いた情報網にはバチカンの法王庁も関与。
一端には「命のビザ」で5000人以上のユダヤ人を救ったことで有名な杉原千畝もいた。
今も昔も、スパイとして敵国に潜り込むのは命懸けの行為。
実際、大戦期には多くのスパイが逮捕・死刑になっていて、
小野寺も日本を守るため決死の覚悟で任務を遂行した。
そして、ついに小野寺は連合国の最高機密を入手することに成功した。
「ソ連はドイツの降伏後、三ヶ月を準備期間として対日参戦するという密約ができた」
その内容は、ヤルタ会談で取り決めされたソ連の対日参戦を示すもの。
紛れもない連合国の最高機密情報で、日本の運命を決める世紀最大のスクープだった。
というのも、当時日本軍はヤルタ会談の中身を探ろうと全力をあげていた。ところが、外務省・モスクワ大使館・陸海軍の情報機関をもってしても、ソ連の企みを暴くことはできずにいた。それどころか「最後の拠り所」とばかりに英米との和平の仲介をソ連に依頼し続けていたのだ。
無理もない。当時のアメリカの副大統領トルーマンでさえ、ソ連の対日参戦を知ったのは終戦間近のポツダム会談の頃。
一方で小野寺が情報を手に入れたのは1945年2月15日。ヤルタ会談終了の2月11日からわずか4日後という信じられないようなスピードだった。
通常の暗号文では解読されるかもしれない。
小野寺は妻と協力し、解読が不可能に近い特別暗号書を使って暗号文をつくり、世界最大級の機密電報を東京の大本営へ送った。
「ソ連が対日参戦を決めた」。それは日本の敗戦を意味する。
当時、敗色濃厚ながらも英米と戦えていたのは背後からソ連が攻めてこないという大前提があってこそ。英米に加えソ連を相手にする体力は、疲弊した日本には残されていなかった。
小野寺の電報によって悲惨な戦争は長期化することなく、多くの日本人の命が救われる・・・はずだった、、、
1945年8月8日。日ソ中立条約を破り、ソ連は日本へ宣戦布告。
日本の支配下にあった満州、朝鮮、そして樺太、北方四島を次々と蹂躙した。
死者20万。捕虜60万。
小野寺の決死の諜報活動も虚しく、ソ連の対日参戦は現実のものとなってしまった。
小野寺が掴んだ「ソ連侵攻」の情報はなぜ活かされなかったのか?
戦後、公式記録を調べると衝撃の事実が明らかになった。なんと小野寺の命懸けの電報は軍の記録の中に一切見当たらなかったのだ。
その真相は、、
「大本営の中に小野寺の情報を握り潰した人物がいる」
筆頭は奥の院の実力者として陸軍の中枢で権力を振るった瀬島龍三。
小野寺だけではない。瀬島によって欧州や東南アジアなどに散らばった日本人スパイの多くの情報が、上層部に届く前に握りつぶされていた。
もし小野寺の「幻の電報」が大本営のトップに伝わっていれば、
数々の本土空襲、沖縄の悲劇、広島・長崎の原爆投下。
私たちが知っている歴史は
今とは大きく違っていたかもしれない。
* * *
戦後、昭和天皇はこのように仰っています。
“先の大戦において
戦線の第一線に立って戦った
将兵達を咎めるわけにはいかない。
しかし許しがたいのは、
この戦争を計画し、開戦を促し、
全部に渡ってそれを行い、
なおかつ敗戦の後も
引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、
戦争責任の回避を行っている者である。
瀬島のような者がそれだ”
大本営の一派が、なぜ電報を握り潰し連合国の利益のために動いたのか。それを示す決定的な証拠は見つかっていません。
しかし戦後日本をよく観察すると、政財界の中枢に残ったのは連合国の利益になるような不可解な行動をした人物ばかり。
戦後、伊藤忠商事会長に上り詰め、中曽根元首相の顧問など数々の要職に就任した瀬島龍三もその一人です。
一体、彼らは誰のために動いていたのでしょうか?
今お話ししたエピソードを、あなたはご存知でしたか?
第二次世界大戦では、祖国のために命を懸けた日本人スパイの活躍がありました。
小野寺信だけではありません。
・ドイツ皇帝が絶賛した日露戦争の英雄
・米国務長官が欲しがった謀略の天才
・日本のスパイマスター
・インド独立を導いた謀略の素人
・ビルマ建国の父アウン・サンを助けた日本人
・マッカーサー参謀と呼ばれた男
電子書籍「世界から恐れられた7人の日本人」では、他にもこのようなテーマをお届けしています。
大戦期の日本のスパイは世界トップクラスの技術を持ち
欧米諸国から恐れられていました。
しかし、日本のために命をかけて戦った彼らの活躍は
戦後のGHQから「日本人の愛国心を育む情報」だと危険視されます。
学校教科書にすら載らず、表の歴史からは抹消されてしまいました。
これまで封印されてきた男たちの活躍を、1冊に凝縮。
「世界から恐れられた7人の日本人」
1人でも多くの方に歴史から消された英雄たちの知っていただきたいという思いからWeb広告限定価格として「税込100円」でご提供します
(販売テスト中のためいつまでこの価格を続けられるかわかりません)
下のリンクをクリックして英雄達が紡いだ歴史を味わってみてください。彼らの生き方は、この混乱する世界の生き方のヒントとなるはずです。
この続きは次のページでご覧いただけます。

