俺もそう思う | GRAYCAP中佐のラジコン七転び八起き

    中国やアフガニスタンで民主主義が不可能なわけ

     

    池口 恵観

     

     

    © JBpress 提供 武力と法で国を統治する中国。ウイグル人がテロリスト予備軍とし、習近平指導部は100万人を再教育のため拘束した

     ギリシアの哲学者ソクラテスは自分の知識が完全ではないことに気づいた。そしてこう悟った。

      

    「人はすべての知識を網羅することはできない。だが、無知であることを自覚することで知恵があると思っている人よりも救いがある」

    「分からないことを知っているような顔をするよりも、分からないことは分からないと考えることで無知を自覚し、自らが学び無知を克服しようと前進することができる」

     仏教では感覚ないし経験を超えた領域を真実在としてとらえる時、その普遍的な原理について認識すれば、世界の性質は無常および無我であると示している。

     その真理についての無知を無明という。自身の価値観にとらわれ、その正義や正当性しか見えないことは無知であり、その無明は苦しみや迷いの根源である。

     人間の行為の目的は、善を行い、善を追求し、そして悪を避けることであるとされる。

     地域政党「都民ファーストの会」に所属する東京都議の木下富美子氏が7月4日に行われた東京都議会議員に当選した。その選挙期間中の7月2日、無免許運転で事故を起していたことが発覚した。

     社会的なルールやマナーを尊重すべき立場の人間が、それを無視し平然としているのは、自覚と責任だけの問題ではなく、その人の性根の顕われといえよう。この都議会議員はいまだに議員辞職していない。

     仏教で無知とは無明をいい、真理に暗いことを指す。

     国家存亡の危機となった東日本大震災からから、ちょうど10年と半年が経過した。

     無知な人間が国家の指導者となるとどうなるのか。当時の民主党政権は原発事故を食い止める幾度もの機会を逸した結果、地震による自然災害は人災と重なり、被害を広げた。

     市民運動を掲げて政治家になった当時の総理大臣菅直人氏は首相に就任する前、宰相になったら何をするか、自身の描く国家の展望をほとんど語ることなく首相に就任してしまった。

     そして、就任9か月後、東日本大震災が起きた。

     賢者は気分を支配し、愚者は気分に従うものだ。震災の翌日、菅直人首相は視察と称し福島原発の上空をヘリで飛んだ。

     東京電力はベントを徐々に開けて原子炉内の圧力を下げる必要に迫られていた。しかし、水素爆発を起し未曾有の放射能汚染が起きた。

     地震直後の菅直人首相の原発上空視察は果たして必要だったのか。その後、国家の存続が危うくなる惨事となったのは周知の通り。

     不確実なことを確認している間に確実なものをなくしてしまった悪例である。

     政府事故調査委員会の最終報告書には「(菅直人首相の)介入は現場を混乱させ、重要判断の機会を失し、判断を誤る結果を生むことにつながりかねず、弊害の方が大きい」と記されている。

     また、読売新聞も社説で、「現場の状況を踏まえぬ菅氏らの過剰介入が、作業を遅らせ、士気を損なった。重い教訓である」と断じている。

     いまだ福島第一原子力発電所は廃炉までの見通しが立っていない。

     当時の官房長官であった枝野幸男氏は「メルトダウンはしていません」と事実とは異なる虚偽の発言を繰り返した結果、多くの住民が被曝した。

     その枝野幸男氏は立憲民主党の党首になった。

     自由民主党菅義偉首相が9月29日に予定されている自民党総裁選に出馬しない意向を表明したのを受けて、立憲民主党の枝野氏は「こうした状況を作り上げた自民党全体に、もはや政権を運営する資格はない」「我々は新しい政権を発足させる準備ができている」と、声高に叫んでいる。

     人は無知を自覚することで、無知を克服しようと前進することができる。だが、枝野幸男氏は自身の無知を自覚し、それを克服することができるのだろうか。

     今秋行われる自民党総裁選と衆議院選の結果で、今後4年間の国家の行く末が決まる。

     米国の政治家ジェイムズ・ポール・クラーク(1854-1916)は「政治家は次の時代を考え、政治屋は次の選挙を考える」と言った。

     私たちは候補者の人気や外見、情勢や雰囲気に惑わされることなく、どのような国家観を持ち、過去の発言と実行、実績を鑑みて一票を投じようではないか。

    人は宗教、法律、武力で統治される

     香港の選挙では治安機関が立候補する人を事前に調査し、政府に忠誠を尽くしていないと判断された場合、立候補を認めないとする新たな制度の導入を決めた。

     この制度の変更で体制に批判的な勢力が政治の舞台から排除されることになる。

     習近平指導部という権力が、中国共産党のためにならない法律を無力化し、民意を無視した悪法を法と定めた。

     これで直接投票の選挙で選ばれる民主派の議員はいなくなるだろう。

     アフガニスタンでは2018年に選挙が実施され、当時の独立選挙委員会によると約420万人が投票を行ったが、現在、アフガニスタンを統治するタリバン幹部は民主主義的を完全に否定。

     イスラム法に基づき国を統治するとしている。時代が20年前に戻ってしまうことになるのだろうか。

     過去も現在も権力者は民衆を統治するために宗教、法律、武力のいずれか、もしくはそのすべてをもって国や地域を治めている。

     この3つは人間を統率するのに非常に効果的であることは歴史が示している。

     良い法律は、人々の悪い行いから生まれるという。

     紀元前1750年頃の古代メソポタミアではウル・ナンム法典に殺人・窃盗・傷害・姦淫・離婚・農地の荒廃などの刑罰が楔形文字で粘土板に記されている。

     神権政治とは、神の直接の導かれた支配者による国家の統治をいうが、神に頼った政治というのは表向きのものだ。

     古代、文明が生じて間もない人類は自然神と祖先神、そして統治者が神として崇拝された。

     神の最高神は主神と崇められ支配者が主神を祀る。支配者は主神と同化するため、自身の権威を高めるために主神と血縁関係を主張する権力者が数多く見受けられた。

     権力者は自身の権力や宗教的権威を確立させるため神への信仰を利用するのである。

     古代エジプトの王や中南米のアステカ、マヤ、インカ文明の統治者など世界各地で宗教と政治が一体となり民衆を統治してきた。

     これに対して古代中国は武力と法で民衆を統治。

     それは宗教の神による統治ではなく、帝こそが絶対的な神であり、帝が作った法律こそ絶対的なものであり、国家は国民のものではなかった。

     こうした従物が主物に従う構図は、中国共産党の統治方法に引き継がれているようにも見受けられる。

     中華人民共和国が1949年10月1日に樹立された当時、政府は公式に無神論を掲げ、宗教を封建主義、海外の植民地主義の象徴と見なし政教分離としたのである。

     文化大革命時には、多くの寺院や僧院が破壊された。

     文化大革命は「封建的文化、資本主義文化を断罪し、新しい社会主義文化を創生する」と謳い、文化改革運動を装っていた。

     だが、その実態は毛沢東の個人的な権力闘争であり、革命の名のもと粛正され死亡した人の数は数十万人、あるいは2000万人ともいわれる。

     現在、中国の新疆ウイグル自治区は入植により漢民族がウイグル人よりも多いという。

     習近平指導部はウイグル人がテロリスト予備軍だから再教育が必要だという考えのもと、100万人超のウイグル人を拘束した。特別法が一般法を破る一例である。

     国連人権高等弁務官のミシェル・バチェレ氏は「拷問や強制不妊手術、性的暴行や子供を親から引き離すなど種族絶滅ともいえる激しい管理政策が行われている」と指摘する。

    © JBpress 提供 中華人民共和国の統治手法。それは中国共産党の絶対性により国家が国民のものではないという構図である

     タリバンはアラビア語で「学生」を意味し、イスラム神学校で軍事や神学を学んだ生徒により創設された。

     イスラム教では、神が主権者ですべての権限が神にあるという。

     タリバンは、かつてその教えにより服装の規制、音楽や写真など娯楽の禁止、女子の教育や労働の禁止などの政策を実施した。

     だが、本来、宗教とは個人の尊厳を確立するもので、個人の生活習慣や対人関係、社会全体にまで影響を及ぼす。

     ゆえに個人が抱える心的苦悩から解放するという大義が宗教には求められる。

     米国がアフガニスタンに民主主義を根付かせようとした結果、20年間で250兆円を投じた。しかし、撤退によりすべてが水泡に帰した。

     その莫大な金額だけでなく米軍兵士2500人の死に意味はあったのか。アフガン戦争でアメリカが掲げたテロとの戦いとは何だったのか。その答えをバイデン政権は見い出せていない。

     ユネスコ憲章にはこうある。

    「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」

    「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因である」

    「この疑惑と不信のために、諸人民の不一致のため、しばしば戦争が起きている」

     米国がアフガニスタンから撤退した直後、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が「ある国の民族構成や宗教、伝統を無視し、外部から政治規範を押し付けてはいけない」と語った。

     それは正鵠を射た言葉ではないだろうか。

     土地の上に建てられたものは、その土地に合わせて建築物が建てられるのと同じく、一つの価値観が、世界中の、どの土地にも馴染むとは限らないのである。

    © JBpress 提供 米国がアフガン戦争で失ったもの。20年間という時間。250兆円という莫大な金額。2500人の米軍兵士の尊い命。誇り高き米国というプライド。米国が掲げたテロとの戦いに意味はあったのか

     人間の行動を左右する様々な観念形態が世界に存在する。だが、人を統治するために求められる普遍的なことは慈悲による統治だろう。

     慈悲とは愛する者や親しい人の困難や苦悩といった不幸を目の当たりにした際に湧き出る感情であり、人間に生来備わっているもので同情とも称せられる。

     慈悲は他に対し楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働きである。こうした感情は誰にでも備わり、特に家族や友人に対してそうした心の動きは強く現れる。

     慈悲とは慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)の観念だが、こうした考え方はキリスト教が掲げる博愛といった優しさや哀れみの観念とは異なるものである。

     仏教の説く慈悲とは、すべての現象は原因や条件が相互に関係し合って成立し、独立して存在するものはなく、また条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるという縁起の概念がその土台にある。

     繰り返すが、慈悲は他に楽を与え、苦を取り除く心である。

     だが、人は敵対する国家や団体、そこに所属する人間に対しては、何の躊躇もなく兵士が民衆に銃口を向けたり、町に爆弾を投下したりする現実がある。

     それは、そうせざるを得ない組織の中での立場の問題、つまり他人の命よりも自己保身が優先される場合、もしくは同情や哀れみよりも、反撥や憎しみが上回ったことによるものだろう。

     争いは、生きるために生じることもあれば、他者との利害や意見の相違により生じることもある。

     また、民族や宗教の違いによる対立、土地や資源などを奪うための侵略など、争いの原因は人間の欲望が深く影響している。

     それは自我の煩悩性によるものといえよう。

     自己の価値観に縛られ、自らが掲げる正義や正当性といった一つの価値観でのみ物事を捉えたならば、いかに知識があろうと、それは無明の中にいるようなものだ。

     それでは世界の普遍的な性質など到底認識できるはずなどがない。

     民衆は太古の昔より宗教、法律、武力をもって統制されてきた。支配者は自身が神となり法律となり武器を持ち、人々を従わせてきた。

     こうした支配体制の構図は、いまも世界各地に、しっかりと根付いている。

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