意外と10月中は下肢の痛みはそんなに酷く成りませんでした。![]()
ひょっとするとこのまま手術しないでも。。。やっていけるかもとも考え始めました。
しかし、現状維持から徐々に悪化していくのは目に見えています。あの潰れた脊柱管の画像を思い出す度に。。ダイハード3が気になってブログを書き続けられません。ちと休憩。
11/2 今年最後のラジコンに出かけました。思い残すことはありません。![]()
お酒も今日から我慢です。10日は入院です。歯医者の予約もキャンセルしました。
14時に手続きをして4人用の病室へ。先客が1名。挨拶をして向かいのベッドに落ち着きました。17時からシャワーを浴びて身体を清めてもうまな板の上の鯉です。
18時夕食 看護士さんが飲み物を2セット(リンゴジュース、アルジネードウオーター500ml、OS-1)これを11日1045までに飲んでおくこと。その訳は手術前の点滴をしなくてよい為にだって。まぁ多過ぎて飲み難いこと。
11日はPM2時からの予定が少し早まって1時過ぎにストレッチャーで手術室に移動。
沢山のスタッフに挨拶して手術台に乗りました。全裸にT型パンツです。
02マスクを付けて(この為にヒゲを剃ってくるように言われていました。)
注射による全身麻酔です。その後に口から肺への酸素パイプの挿入。
恐怖で縮こまっているポコチン
の先から導尿管を膀胱迄突っ込まれて用意完了。
もうここは意識はありませんでした。
でも剃毛の必要はありませんでしたね。
うつぶせにされて三枚おろしに背中を切り開かれての手術です。合計20㎝程の傷になりました。
S先生とF先生の2人掛かりでの大手術になったそうです。L2とL3の間の骨を削って、L5とS1の間の骨を切り取って潰れた神経を抉り出し、絡みついた脂肪や筋肉片を取り除き。。。
ドリルで骨に穴を開けたり、ノミで溝を掘ったり。。。傾いた背骨を真っ直ぐにする為に先程切り取った自分の小骨のカケラを隙間に押し込んで更にチタン製の人工骨を間に押し込んで矯正です。そして両側からチタンの板を当てて4本のボルト? ビス? で固定です。良質のクッション材がまだ残っていて取り除くのはちと勿体ないと先生が説明時に言っていましたが。。![]()
手術は予定より短くて3時間位で終わったそうです。
正気に戻ったのが5時過ぎで
さんがICUに来てくれました。本人は痛みと寒さでせん妄の真っ最中で何を話したか覚えていません。ただ うるさい、帰れとか言われたと後で聞きました。ただただ頭の中は
のマウスで×印を押し続けていたのを覚えています。
実際、枕もとの脈拍や血圧その他のデータ機器の灯りと音が五月蠅くて何度頼んでもそれは止めては貰えませんでした。それに寒いのです。両脚は化学繊維の靴下をはかされてエアポンプで圧迫、解放を繰り返すエコノミー症候群防止の処置をされていました。
身体は寒いのに顔には痛みを堪える脂汗が滲み。。。悲惨なものでした。![]()
右手にはナースコールボタン、左手には痛み止めの点滴用ボタン。。結局何種類かの痛み止めを試しても全然効かずに最後にはお尻に薬を押し込まれました。
そうそう左手のボタンは何回続けて押しても決まった間隔でしか薬が流れない仕組みになっているそうです。
* 教訓 その①
ICUに入る予定と言われたら初めからイヤーマフラーの準備をしていった方が利口。
何回も入った人は用意してくるそうです。
40年ほど昔、相模原のK病院で腎臓結石の破砕手術を受けた時は入院時に好きなジャンルの音楽を予め聞かれて、ドンドン破砕音がしている間中ヘッドセットからの音楽で気を紛らわせていたのを思い出しました。あれはGOOD IDEAでしたね。
12日のお昼過ぎまでウンウン唸って耐えていましたが、どんどん手術の患者が出て、ICUを使いたいということで午後には病室に戻されました。勿論両脚のポンプ作動したままです。
その日の夜から夕食が提供されましたが。。。とても食欲は有りません。(続く)
