一昨日、一気に焼いた肌が、痛いです。
残暑が厳しく、まだまだ、お暑うございますね。
夏バテしそうでありながらも、食欲も落ちない私です。
こんばんは。 琴です。
お元気ですか?
好奇心が強かった姉と私は、北朝鮮に旅行に出掛けた事があります。
私が25歳ころだったと思います。
当時は、金賢姫に対するバッシングも強く、
どちらかと言うと、
口に出して語ってはいけない雰囲気が強い時代でした。
まだ拉致問題が社会問題となる遥か彼方前の話です。
北朝鮮のチャーター便で、向かうのですが、
参加者の誰もが、言葉少なく過ごしていました。
日本からの添乗員さんはいるものの、
北朝鮮の方も添乗員として着きました。
日程は、すべて北朝鮮の方が管理しています。
自由行動もあるのですが、ほとんどが、ある建物内だけであり、
外部との接点はないに近い状態でした。
時間を割いては、必死にタバコを吸っていました。
つまり、かなりチョロチョロしてたんです。
ある日の昼食だったと思います。
サッサと食事を終わらせて、タバコを吸っていました。
タバコを吸う場所は屋外でした。
灰皿が2っ3っあったと思います。
同じようなツアーの人がいてタバコを吸っていました。
初めは、目の前にある灰皿を、一人で使ってタバコを吸っていました。
意味もなく広い道路(片側2車線→日本なら4車線は作れそうな程の幅)
の方から、
男の人が歩いて来ました。
男の人、当時30~35歳位だと思います。
25歳位の私から見て、爽やかなお兄さん的な感じがしました。
日本人なのか?
日本のどこからきたのか?
ツアーなのか?
と言う事聞かれたと思います。
全くの違和感のない日本語で話掛けて来ました。
しばらくして、タバコを吸わない姉が、
なかなか戻ってこない私を迎えに来ました。
同じような質問が繰り換えされたと思います。
姉は、どこから来たのかを訪ねました.。
そばには、民家らしいものは一切なく、
そこに、人が存在するのも、似合わないような場所でした。
無駄に広い道路の先の山を指していました。
山から来たのかを確認しても、
彼は笑いながら山を指して笑っていました。
そんなやりとりが数分間あったと思います。
しばらくして、私達のバスの運転手が来ました。
一言位は話をしたかと思いますが、
その男の人は、サッと身を引くようにして、山に帰って行きました。
未だに、彼はどこから来たんだろうかと思います。
その後、私と姉は、運転手さんに、
彼が何者であるかを、ちょっとしつこいと思う程聞かれました。
しかも、この事があってから、
チョロチョロする私と姉の周りには、
運転手さんが親しげにそばにいるようになりました。
ツアーの人を、走ったり抜かして写真を撮ったり、
また、みんなに抜かれてものんびりして、写真を撮ったりしていると、
注意をされたりしました。
若かったですから、『はい。』と素直な返事はしても
直したりしませんでした。
そんなんでしたから、
更に、旅行中はいつも誰かの視線を感じていました。
まるで、監視されている感じでした。
その後、長い歳月の後、北朝鮮が拉致を認めました。
忘れかけていた、くすぶっていた感情が広がりました。
あの時の青年は、拉致被害者であったのではないか?
そんな気持ちになりました。
しかし、そんな思いは口に出せずにいました。
その後も、小泉元総理が、北朝鮮に行ったりと、社会は動きます。
その青年が、私に何かを伝えたかったのでは?
なぜ、その訴えに耳を傾けなかったのか?
と、申し訳ない気持ちにもなりました。
しまいには、夢にうなされてしまうようになり、
思い腰を上げて、姉に話をしました。
北朝鮮の旅行から、10年位経っていたかと思います。
姉も覚えていると思ったその出来事は、
姉はすでに、記憶が薄れていました。
私は、ハッキリ覚えていて、念写できれば、と思っていました。
そうして、やっと、被害者の会の方と連絡を取りました。
80パーセント、否、もっと高い可能性で、
この人だと思う人が、このポスターに載っていました。
日々の忙しさもあったかもしれません。
もしかしたら、関わりたくないような気持ちもあったかもしれません。
イタズラに歳月は流れていました。
そうして手に入れたポスターを持っている事すら忘れていました。
久しぶりにポスターを見ました。
あんなにも、ハッキリ覚えていたはずの人が、わかりませんでした。
何度も見直したんですが、結果は同じで、思い出せません。
だんだん、きっとこの人だとか、
あやふやになってしまった記憶を
想像で作り上げようとする自分がいました。
それでは意味がありません。
申し訳ないです。
その青年は、今頃、何をしているでしょうか?
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