結果報告が遅くなりまして申し訳ございませんでした。
あまりのショックで沈み込んでしまい、ブログの更新意欲が全く湧きませんでした。
フルマラソンの部で、96%を超える完走率の中、途中リタイアの屈辱で、
自分が情けないと思い続けたこの3ヶ月でした。
それにしても、我が人生の中でも、指折りの屈辱感・挫折感を感じたイベントでした。
もちろん、それは自分自身の不甲斐無さに対してです。
当日の深々と冷え込む中で、競技者に降りそそぐ無情の雨。
最悪でのコンディションでしたが、そんな中でも、みんな頑張ってほとんどの人が完走しました。
それなのに、俺は途中リタイア。本当に情けない。
簡単に、事の経緯を説明します。(言い訳ではなく、屈辱を忘れないためのメモです!)
2週間前の神奈川マラソンで、股関節を痛めていたのは、以前にも書きました。
これが唯一の不安材料であったことは事実です。
でも、当日は、何が何でも完走してやるとの意気込みで望みました。
5kmくらいまでは平気でした。ペースも抑え目にしました。
5kmのスプリットが、27分36秒。
このまま最後まで維持できるのではないかという楽勝ペースだ。
ところが、5km過ぎあたりから、違和感が出始め、
次第次第に痛みに変わっていき、恐らく7km地点くらいで
もう我慢できない痛みのレベルになった。激痛ってやつだ。
走ることができない。歩くのがやっとという感じ。
歩いていても、股関節をかばおうと、変な歩き方になっている。
そんな中、沿道の応援が心に突き刺さる。
ランナーからの「ガンバ」の声が、俺の涙腺をゆるませる。
歩いてでも完走したいと自分を追い込んだが、
竹橋あたりで、左足にケイレンの症状が出始める。
もうビッコ引きの状態だ。
一歩一歩進むごとに、痛みが増す。
何とか、10kmのゴール地点の日比谷公園までたどりついて、リタイアを決心した。
ケイレンして感覚を失っている足を引きずりながら、涙がこみ上げてくる。
悔しい。本当に悔しい。
日比谷公園で係員の方にリタイアを告げ、
荷物が行っている有明までどのように行けばいいか聞いても、たらい回しにあい、
足を引き摺りながら、日比谷公園内を歩く。
最終的に電車で自力で行くか、リタイア者用バスで行くかの選択を示され、
歩けない状態の俺はバスを選択。
ただし、交通規制が解除されるまで出発できないので、
多分1時間半ほどはバスの中で待機させられたと思う。
HATOバスだったが、社内のテレビで無情にも東京マラソンのテレビ中継が流されており、
傷口に塩を塗られたような思いになる。

そのバスの中で、リベンジを誓った。
3ヶ月が経った今も、その決意は全く変わらない。
来年、必ず、リベンジを果たす、という熱い熱い思いで、俺の心の中はいっぱいだ。
股関節痛は必ず治して、来年の東京マラソンに、必ず当選して、完走する。
それが唯一の俺の沈んだ心の晴らし方だ。
絶対にやる。
死んでもやる。
俺の心は燃えている。