こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

11月は今日で終わり。

 

晦日です。

 

今年はあと31日。

 

楽しい思い出を作りましょう。

 

本日厳しい言葉のお話です。

 

 

絶賛スランプ中のぶどうさん。

 

絶賛の使い方、まちがっとる!というのはおいておこう。

 

スランプなのは、老後の趣味でしかない、ピアノとの関係性だ。

 

ピアノなんて弾かなくたって死にやしないし、出来なくとも自分の価値に何の影響もない。

 

とっととストレスの元は捨てるのが一番である。

 

それでもスランプといい、沼の中にいるということは、好きなんだろう。

 

ピアノを弾くことが、というより、ピアノそのものが。

 

好きなものの対象なんて、人によって違って当然だ。

 

ピアノを弾く自分が好きな人がいれば、ピアノをうまく弾くことで自信を得ている人もいるし、ピアノをいじることが好きな人もいる。

 

なんだっていいのだ!

 

そして、ぶどうさんはピアノがうまく弾けないという沼にいて地獄だけれど、ピアノの音に幸せを感じるのだから、下手でも音楽的でなくとも、ともかく自分勝手に弾けばいいのである。

 

そもそも誰かに誇示するわけでも聞いてもらうためでも評価してもらうためでもないのだから。

 

そういう意味では、レッスン辞めます?で書いたように、やめちゃっていいと思う。

 

辞めようかなと言いつつ、今年いっぱいかツェルニー30番終わるまでなんて言ってるし。

 

そしてやっぱり毎日練習しているわけで。

 

練習しながら、いやいや、ハノンも終わろうと思い出した。

 

ハノンも昔60番まですべていったん終わっている。

 

それを2年前に再開したときに39番のスケールから始めたのだ。

 

これを60番までは終わらそうと思う。

 

脱力ができていないと言われ、なんと2ヶ月もかかった48番前半は、今もって出来ているのかいないのかわからない。

 

しかし後半は一発合格であった。

 

そして脱力のダの字もお師匠の口からは出なかった。

 

・・・あきらめられた?

 

ただ、前半で苦しんでいろいろ考えたおかげか、ピアノの弾き方が変わった気がする。

 

いい方向に行っているのかはわからないが、何かが変わったのだろう。

 

ハノンの最後の60番はとんでもないシロモノで、このまままたいろんな壁にぶち当たってピアノの弾き方を工夫していったら、もしかして楽に弾けるのかもしれないなんて甘い考えがよぎり始めた。

 

レッスンをやめるのはツェルニー30番よりハノン60番が終わる方が遅いだろう。

 

もう2,3年は猶予ができた?

 

その前にまた弱音を吐きそうだけど。

 

以前紹介した、レッスンをやめようと思う人へのメッセージの中で、ちょっと厳しい言葉を耳にした。

 

子供の頃ある程度のレベルまで行った人でピアノを辞めてもゼロにはならないけど、大人から始めた人でやめてしまったら、ゼロになるのはすぐだと。

 

ぶどうさんは子供の頃はまじめにせず低レベルでやめ、大人になってからピアノを再開してやめ、2年前ふたたび始めた組だ。

 

大人になってからやったものが大半なせいか、それとも大人になってからやめた後ピアノのことは一切忘れようと思って考えなかったせいか。

 

2年前再再開したとき、ほぼピアノのことは忘れていた。

 

ピアノの弾き方が、わからなかった。

 

それを思うと、今ピアノを弾くことをやめたら、すぐゼロになるんだろうなと想像がついた。

 

少なくとも2年間の奮闘や努力は無駄になる。

 

人生は無駄だらけで、意味はないという。

 

だから無駄になっても大したことはないし、ストレスの元はなくした方が健全だ。

 

それでもピアノの音を聞く幸せを手放すのは、ちょっと寂しい気持ちになった。

 

人生を豊かにするものを一つでも知っているなら、それを大事に温めてもいいのではないかと。

 

すぐに投げ出したほうがいいものがある一方で、少し冷静になったほうがいいものもある。

 

今、ぶどうさんは後者を選択しようと思う。

 

辞めること続けること、どちらを選ぶのも難しいなら。

 

どちらが自分を大事にできるのかという視点で考えようと思う。

 

美しいピアノの、その音色が心の琴線に触れて喜びを感じるのだから、気持ちの区切りがつくまでやってみることにした。

 

・・・。

 

ハノン60番、これ区切りにしよう。その時、どう考えるかは気分次第だ。

 

なんだかんだゴタクを並べ、今日も闇練に精進するぶどうであった。