この書き込みから10年が経ち、フジテレビ系岩手めんこいテレビ、テレビ朝日系長野朝日放送、テレビ東京系TXN九州(現・九州放送)、日本テレビ系長崎国際テレビが、それぞれ開局30周年をむかえました。(局舎の写真は以前のブログより再掲)

 
岩手第三民放局は1985年に構想されて、240件の免許申請があり、フジテレビとテレビ朝日が進出を争いました。
それまでの在岩民放局の動きとして、テレビ岩手は1969年12月の開局から1980年3月までは日本テレビ系メイン・テレビ朝日系サブのクロスネット局でしたが、1980年4月に日本テレビ系に一本化しました。
テレビ岩手が日本テレビ系に一本化した1980年4月から岩手朝日テレビ開局直前の1996年9月まで岩手県は「モーニングショー」→「スーパーモーニング」が全国で唯一放送されませんでした。
フジテレビ系についても、IBC岩手放送が「小川宏ショー」の番宣ネットを1980年3月に打ち切ったほか、「夜のヒットスタジオ」や「プロ野球ニュース」は岩手めんこいテレビ開局まで放送されませんでした。
フジテレビ系は昭和40年代のU局大量免許の際に大量に開局した為、新局は少なくて済み、他局との相乗り局をフジテレビ系に変えた事が多かったのと、平成新局には消極的だったので、本来なら岩手の岩手めんこいテレビのみ開局の筈でした。
しかし、山形テレビの予期せぬネットチェンジで山形地区を失った為、代替局のさくらんぼテレビも作った事と、高知県の橋本知事の要望で高知さんさんテレビが開局した為、3局になりました。
また、TBSとのクロスネットだったテレビ山口に代わる山口第3局と、進出要望が強かった青森第3局も共にテレビ朝日に取って代わられる事になりました。
 

 

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長崎第三民放局はテレビ朝日と日本テレビが進出を争いました。
テレビ朝日派は長崎市の経済界が支援したのに対して、日本テレビ派は佐世保市の経済界が支援しました。長崎第三民放局はテレビ朝日系NNC長崎文化放送として1990年4月に開局し、佐賀県との相互乗り入れの解消も決まったらしく、長崎第四民放局の免許が交付されるのでした。

長崎第四民放局は1989年に割り当てられて、571件の免許申請がありました。
そんな中、テレビ長崎もフジテレビ系列を選択した為、必然的に日本テレビ系列の新局を作る事になった反面、当初構想にあったとされる長崎・佐賀の2県1波になっていたら、テレビ長崎が追われる事はありませんでした。

長崎国際テレビは当初は1990年11月12日の天皇明仁(現・上皇)の即位礼正殿の儀に合わせる形で1990年10月1日に開局する予定でしたが、開局準備の遅れから半年遅れの1991年4月1日に開局しました。だから、テレビ長崎のFNN系列化とNIBの開局迄半年のタイムラグがあった訳ですね。

 

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長野第三民放局は日本テレビメインで行く予定だったのが、1978年7月の日本テレビ経営陣・テレビ朝日経営権・西沢権一郎長野県知事(当時)の会談で長野第三民放局を日本テレビ系とテレビ朝日系のクロスネット局として開局することで合意しました。
長野第四民放局は1364件の免許申請がありました。同様に、テレビ信州も1987年にテレビ朝日系の長野第4民放局が開局していれば、悲願だった日本テレビ系マストバイ局を史実より早期に達成したかも知れず、過去の繋がりからテレビ信州からスタッフを融通して貰い、互いに当初は連携がありました。
 

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 福岡第五民放局は1985年に構想されて、235件の免許申請がありました。
TXN九州(現・九州放送)はテレ東系全国縦貫を達成と同時に系列最終局となり、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の中継を積極的に行い、後に在福民放局も追従する様になりました。
TXN九州(現・TVQ九州放送)も、当初は1990年11月12日の天皇明仁(現・上皇)の即位礼正殿の儀に合わせる形で1990年10月1日に開局する予定でしたが、開局準備の遅れから半年遅れの1991年4月1日に開局しました。
近年の不満はテレ東の深夜番組(特に深夜アニメ)のネットがハブられる様になった事で、何とかならないかと思っています。
(山形のはっちゃんさんから指摘があった分を修正しました。)