20年前の1991年4月1日、岩手めんこいテレビ、長野朝日放送、TXN九州(現・九州放送)、長崎国際テレビが開局した日で、TBS系を除く4系列局が同時に開局した唯一のケースでした。

岩手めんこいテレビ(フジテレビ系)

岩手第三民放局は1985年に構想されて、240件の免許申請がありました。
フジテレビ系は、IBC岩手放送が「小川宏ショー」の番宣ネットを1980年3月に打ち切ったほか、「夜のヒットスタジオ」や「プロ野球ニュース」は岩手めんこいテレビ開局まで放送されませんでした。
そして、岩手第三民放局はフジテレビとテレビ朝日が進出を争いました。
フジテレビ系は従来のクロスネット局を単独ネット化した為、然程新設局は必要ありませんでしたが、必要最小限の開局に留めたい方針から岩手のみの予定でしたが、その後高知、不慮の事態で失った山形の二代目今日の三つが平成に開局しました。
当時、フジテレビは人気、視聴率共にトップだった為、視聴者に迎え入れられました。
フジテレビは青森を残して手を引き、逆にテレビ朝日が東北全県制覇を達成しました。
なお、テレビ朝日も5年後に最終局は岩手に進出し、東北全県制覇を達成しました。
 
長野朝日放送(テレビ朝日系)
当初はテレビ信州が日本テレビメイン・テレビ朝日系サブのクロスネットでした。
1978年7月の日本テレビ経営陣・テレビ朝日経営権・西沢権一郎長野県知事(当時)の会談で長野第三民放局を日本テレビ系とテレビ朝日系のクロスネット局として開局することで合意しました。
1984年に長野第四民放局の構想が上がり、免許申請は1364件に登りました。 
1987年にテレビ朝日系列の長野第4民放局が開局し、テレビ信州は日本テレビ系のマストバイ局になる筈でした。
処が、スポンサーの調整が利かず開局延期になり、更に悪い事は重なり、テレビ朝日が19時ゴールデンに帯ニュース番組「ニュースシャトル」を導入し、比較的視聴率が取れていた日本テレビ系ゴールデン番組を全廃した為、視聴者からの苦情と抗議が殺到し、テレビ信州は日本テレビ系マストバイ局化を決め、必然的に長野第4民放局はテレビ朝日系に決まりました。
それでも新社屋が出来る迄の間長野朝日放送はテレビ信州の局舎を共用しており、繋がりは残っていました。
また、開局年に放送されていたスーパー戦隊「鳥人戦隊ジェットマン」の長野ロケは長野朝日放送開局記念ロケとも言え、舘大輔さん演じる次元伯爵ラディゲが鳩に煽られ池に落ちる迷場面と、久我未来さん演じるトランが急成長し、広瀬匠さん演じる帝王トランザに変身する名場面がありました。
 

TXN九州(現・TXN九州放送)(テレビ東京系)
テレビ東京系第6局目にして最終局となったTXN九州は全国縦貫を達成し、他局とのハンディをかなり埋めました。
福岡第五民放局は1985年に構想されて、235件の免許申請がありました。
当時の福岡ダイエーホークスのスポンサーだったダイエーが出資者となり、福岡ダイエーホークスの試合中継は開局当初から積極的に行っていました。
しかし、その奮闘も空しくダイエーの経営が良かった頃は当時パ・リーグの覇者だった西武ライオンズには歯牙も敵わず、経営が悪化してから強くなったのは皮肉としか言い様が無く、ホークスはソフトバンクが引き継ぎました。
最近の不満を言えば、テレ東の深夜アニメが東名阪ばかりに偏っており、テレビ北海道、テレビせとうち、九州放送がハブられる事もあり、何とかして戴きたい所です。
 

長崎国際テレビ(日本テレビ系)
長崎第四民放局は1989年に割り当てられて、571件の免許申請がありました。
長崎はテレビ長崎がフジテレビ系と日本テレビ系のクロスネットでしたが、前年テレビ朝日系の長崎文化放送が開局した事に焦ったのと、「クロスネット局は最終的にFNS一本にする」の裏規約があったらしく、テレビ長崎はNIB開局前の1990なん10月にFNS・FNNへ加盟。日本テレビの方がテレビ長崎を去り、長崎国際テレビとして独立しました。これで長崎地区の四波化を達成しました。
この年が同時に四局開局した最後の年となり、惜しむらくはTBS系系列局の開局が無かった事で、5系列同時開局はとうとう実現しませんでした。
(2024.1.25 山形のはっちゃんさんからの指摘を受け一部修正しました。)