前編からの続き

1993年4月1日、山形テレビはテレビ朝日系19番目のマストバイ(単独)ネット局となり、こうして開局24年目に本来の姿になったと言え、91年の青森(実はNET時代の1975年にATV青森テレビをTBS系に取られており、16年ぶりにNET→テレビ朝日が帰って来た事になる)、92年の秋田に次いで3年連続で東北地区にテレビ朝日が来る事態となり、平成唯一の編入局となりましたが、それは同時に波瀾万丈の船出となりました。


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ネットチェンジ開始の新聞広告


ドン底からの再建
当時のテレビ朝日の人気番組と言えば、ニュースステーション、ミュージックステーション、ABC製作驚き桃の木20世紀、キー局製作たけしのTVタックル、はぐれ刑事純情派&さすらい刑事旅情編、暴れん坊将軍、ドラえもん等がありましたが、如何せんフジのラインナップには敵わず、TUYに一部フジテレビ系の番組放送で対処し、スポンサー集めに苦労するのでした。それでも月9ドラマが放送終了後に纏めて放送は変わりませんでしたが。

そしてYTSの陽は昇り、フジテレビ系列局復活運動も展開

しかし、当時社会現象になったクレヨンしんちゃん&美少女戦士セーラームーンがやって来たのは大きく、その後テレビ朝日飛躍の功労番組スラムダンクを始め、炎のチャレンジャー、目撃ドキュン!、X-FILE等の海外ドラマ、はみだし刑事情熱系等の人気番組が相次いで誕生し、次第に他局と遜色ないラインナップが揃い、元々地元との地域密着もあっただけにネットチェンジの傷はある程度癒されました。

また、アニメ・しましまとらのしまじろう、ギルガメッシュないと、開運!なんでも鑑定団などテレビ東京系の人気番組を番宣ネットを残した事もYTSがネットチェンジのダメージから立ち直る要因になりました。
タミヤRCカーグランプリ、ザ・スターボウリングはYTSではネットチェンジの前後を通じて番宣ネットされて、YTSのネットチェンジでもテレ東伝説が発動されました。

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さくらんぼテレビ開局の新聞記事
しかし、それでもフジテレビ系不在の不満は拭えず、地元の人々は結束し山形第4局誘致運動を行い、1995年に山形第四民放局の周波数が割り当てられて、1996年2月に山形第四民放局の免許が交付されました。会長になった日枝久氏とFNN東北ブロック局の後押しで97年4月悲願のフジテレビ系列局・SAYさくらんぼテレビがフジテレビ系列最後のテレビ局として開局しました。

そして現在
一時はフジテレビ系列不在で県民の不満があったものの、この騒動が無ければ山形の民放は3局止まりだっただけに、結果オーライとなりました。
災い転じて福と成すとはこの事ですね。