第10章は現時点でも最後のネットチェンジにして唯一リアルタイムで経験した視聴者を驚かせた山形テレビを4回に分けて取り上げようと思います。



第10章 YTS 山形テレビ フジテレビ系→テレビ朝日系 
最初の資本処理がそのまま爆弾になったと同時にフジテレビ第一期黄金時代終了の遠因か

第1節 その男・服部敬雄
本件を語るに絶対不可欠なのは山形の経済を牛耳った山形の天皇、または独裁者と呼ばれたこの男は外せないでしょう。その名は服部敬雄で、山形新聞、山形放送、山形テレビ、山交バス(かつては鉄道路線も有した山形交通でした。)と、山形の報道機関や交通を牛耳った山形の天皇とも帝王とも言える人物で、「山形のナポレオン」、「山形のヒトラー」の異名通り、山形の全て思いのままに操り、この男に山形のマスコミは滅茶苦茶にされました。

山形の天皇と呼ばれた故・服部敬雄元山新グループ会長 

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まず、最初の放送局YBC・山形放送はHBC・北海道放送とラジオ時代からの結びつきがあり、テレビもHBCと同じKRT(現・TBS)系に加盟するべきという意見も社内にありましたが、服部敬雄社長の判断で日本テレビ系メインのフリーネットで開局しました。1960年当時の日本テレビはプロ野球巨人戦中継やプロレス中継などのスポーツ中継が人気でした。
テレビ開局直後のYBC・山形放送は日本テレビ系メインの編成で、TBS系の番組も数多く組み込まれました。

ABS・秋田放送はラジオ時代の結びつきからKRT(現・TBS)系に加盟するのが有力とされていましたが、日本海側のマイクロ回線の関係やスポーツ中継の人気から日本テレビ系で開局しました。
(2024.2.10・山形のはっちゃんさん指摘)
青森はATV・青森テレビが1975(昭和50)年にNET(現・テレビ朝日)系からTBS系へネットチェンジしたものの、秋田県にTBS局が出来なかったのもこの事が影響していました。

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続いて、1969年に山形第二民放局としてYTS・山形テレビが計画され、山形テレビは当初、NET(現・テレビ朝日)系のシングルネット局として開局する予定で、朝日新聞や毎日新聞が出資していたほか、開局前の研修もNET(現・テレビ朝日)やMBS・毎日放送で行っていました。
実現すればNET初の日本海側の放送エリアを有する局になる筈でした。
JNN・TBS系列への加盟は地元紙の出資が条件で、テレビユー山形はダミー申請の名残などもあり山形新聞が出資しています。山形新聞の資本を排除するはずだった山形テレビがNET系とTBS系のクロスネットで開局する予定だったのはデマです。
KSB・瀬戸内海放送はNET(現・テレビ朝日)系のシングルネット局で開局する予定でした。山形テレビも山形新聞の資本を排除した上で、NET(現・テレビ朝日)系のシングルネットで開局する予定でした。朝日新聞の株が多く、当初はNET(後のテレビ朝日)メイン、ニュースネットはANN、TBS系サブのクロスネットで開局予定でした。
ところが、服部会長が介入し山新グループに組み込まれただけで無く、当初懇意だった鹿内信隆フジテレビ会長に働き掛けFNS・フジテレビ系列に変えられ、1970年4月に開局しました。また、昭和40年代にフジテレビがネット局を大幅に増強出来たのも鹿内会長が郵政省や電波局と親密な関係で、優先的にU局の免許が割り振られたからです。
 何故NETを回避したのでしょうか? それは朝日新聞は服部会長の嫌う勢力の新聞であり、服部会長はそれを嫌がりYTSもフジテレビ系列になったにも関わらず、毎日新聞と朝日新聞の株を敢えて残し、フジの言いなりにならない様にしました。しかし、それが23年後に大きな爆弾になるとは知らずに…。
(2023.3.13・山形のはっちゃん指摘の上訂正)

第2節 服部会長の功罪
YTSは開局当初から住民の提言を載せた「提言の広場」を放送しており、フジテレビ系時代からフジテレビ系番組をスルーして放送していましたが、ローカル枠でしたので、気にはしませんでしでした。
YTSは開局翌年の1971年には山形市に住宅展示場「YTSハウジングセンター」を開業させて、1973年~1975年には早くもゴールデンタイムにローカル番組の「どんぐり合戦」や「チャンネルはU」を放送するなど、開局当初から将来を明示するような事業や番組編成をしました。
 1975年にYTSは一度NETとのクロスネットとなりますが、朝日の影響力が増大するのを恐れ、1980年に再びFNS単独に戻し、YBCとクロスネットを組ませ、何処のネットにもならない様、テレビ局の編成を操作し、YBCが日曜ゴールデンをテレ朝にしたとトバチリでYTSの日曜ゴールデンは日テレの番組が編成させられ、日曜ゴールデンのアニメは月曜夜七時台に、フジテレビ第一期黄金時代の人気番組だった欽ドン!となるほど・ザ・ワールドと月9ドラマは、遅れネットや終了後纏めて放送を余儀無くされ、日テレの水曜ロードショー(後の金曜ロードショー)が火曜ロードショーに、火曜サスペンス劇場が土曜サスペンス劇場に変えさせられました。YBCもYTSも五大民放ネット局のごちゃまぜ編成となり、視聴者を混乱させた一方、なるほど・ザ・ワールドも特番ながら、「なるほど・ザ・ワールド山形」と言うローカライズ版も製作・放送され、将来を明示していました。

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本来YBCで「水曜(後の金曜)ロードショー」として放送されるべきなのが、YTSで「火曜ロードショー」にされて放送されていた

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フジテレビ系時代のYTSスーパータイムのOPタイトルバックで、「協力 産経・朝日」のテロップがYTSの複雑な資本関係を表していた

服部会長の絶大な権力を物語る功績と罪は以下の通りです。
功績 ・山形大学に医学部を設置・山形空港の開港・山形新幹線の誘致成功
功績にして罪

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・山形花笠祭りを作った反面、最上義光を歴史から抹殺し、義光祭を葬る
 ・YBCで11PMのネット禁止を命じるも、これは教育局免許だった他のNNN系列局も同時期に同様の措置を取っていた

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競馬中に爆破を行う過激な演出も服部会長の実力だったのか?
・系列局を無視して西部警察全国縦断ロケを誘致するも、名作となる
罪 
・山新グループに労働組合を作らせず、交通労連に加盟したままで、バスで遅刻した社員を不当解雇した
  
・宮城県との県境を強引にいじり、ロープウェイを開通させた

・YTSのクルーが取材に遅れYBCからVTRを借用したのがバレ、関係者を不当更迭

・系列の山形グランドホテルのイベントばかり誘致・報道し、ライバルのホテルキャッスルに広告やイベントを誘致させ無かった

・山新グループがフランチャイズした不二家レストラン以外の外食チェーンとコンビニの排除

・服部会長の記事を書いた朝日ジャーナルの買い占め

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・ユニコーンのアルバム服部の買い占めと入荷禁止
と、同じ日本でこんな事が起きていたのにはビックリと同時に、西部警察の山形ロケは83年夏収録・同年秋放送から逆算して当初は同年秋開局した新潟テレビ21開局記念の新潟ロケが差し替わったと思われ、公衆の面前で石原裕次郎石原プロモーション社長が服部会長に頭を下げた逸話もあります。 
 やがて服部会長の独裁を覆す出来事が起きるのでした。