今日も新しい1日がやってきた。
自我、"エゴ"と、愛について話をします。
無意識に、私達のエゴは私は自分だけは特別で、そして、あの人は私より輝いて、偉くて幸せで、成功している、もしくは誰かは私より劣っている未熟で可哀想な人、という見方をしている。
今、人、物、事にがっかりしているなら、実は何か自分をごまかしたりしてるだけ。だって私達は真実繋がり、見せられているだけだから。
喜んでいるなら、それも然り。あなたの中にその高貴さ、聡明さある。
人に下も上もない。私達はみんな繋がっていて、誰一人特別な人もいない。 あんな人、こんな人、また凄い人もいない。
私は、それを本当に知ったのだ。
だれを敬い、畏敬の念を持つ必要も無い。
だれかに失望し、傷つく必要も無い。
正して、恐れる必要も無い。
私は、皆は、皆んなと繋がっている存在だったからなのだ。
逆に"私"こそ、輝き、光を四方八方に渡す!なんて意気込んだら最後、一瞬は良いけど、長くは続かない。
周りに、現実を見ろ、とか、役に立たないとか言われたその言葉に傷つきやすくなって、自分の道を折ってしまう。
とにかく他者に傷つきやすい。良い言葉も入るが、悪い言葉も入る。希望と自信を、お経のように書いている人もいる。
そして、自分は凄い!と言い出すと自分の特別性を守る為、危うそうな人に壁をつくなきゃいけなくなる。私は、凄いはずだ、とかいいながら。
もちろん、そうしながらも成功はできると思う。
だけど、そのフィールドだと、とにかく傷つきやすい。だから、私は初心に帰って無になる。
全てのニーズ、美しい物も良い物も捨てる。
思考も、目標も、希望も、着地点も、今の私にとっては強い物はいらない。
たとえば、ジャンジャンバリバリ稼いでスピードが大切と思っている人は、ゆっくり自分のペースを守っている人が我慢ならない、って自我の中傷つきやすい。
自分は、感情無視して、いつもポジティブ宣言していると、悲しがったり、苦しがったりする人を見ると、エゴがでやすい。情けない!って
また、男なら立派であるべきと思ったら、自分に色メガネがかかるので、なかなか自我の私は立派だけど、あなたいまいち、と男性を下に見てしまいやすい。
働いて、社会貢献して、世界の役に立たなければ!と強くいえば、それに向かっていない人の生を真実敬い、愛おしむ事ができるのだろうか。
全て、"自分"を強化してしまいやすい。
皆、傷つきやすくなる。
私は無である。そして全部である。
そうして、静かに自分の仕事をしようと思う。
そして出会う人、皆を祝福、平和を祈ろうと思う。
私の乱暴な心だけが、自分を傷つける。
愛を誰かに頼らないでいいんだ。逆に頼ったその時、どうしようも無い苦しみや危うさもでる。
私は、この世の神様を信頼します。
愛は、自分の無垢さと真実を開き続けるだけで良い。それがとても安らぎと幸福しかない。
私は、自分の本当にしたい事を自分にさせる。
私は、みんなは、統合、光、安心、安全を持ってきている。
自分や世界を育むとは、管理、監督、反省、孤独を促し、罰や距離、防衛、そして表面上の美しさを作るのでは無いと言う事。
ただ、道、愛に目覚め続けていくだけでいい。
私達は光である、無である。そこには愛と奇跡がある。
誰に否定されても、誰に賞賛されても、誰に去られても、誰がきても、自我の中、胸を張り裂けさせたり、大喜びする必要も無い。
継続、進化しながら、川の流れに沿えるのだ。
そして、欲する事、要求を完全に捨て去り、神さまの道をゆきます。