また神の真実がでてくる、人生総決算、
清算が強制的に起こります。
そして今回のタイトル、愛や許しは生半可な言葉ではありません。
簡単、シンプルでも無く、容赦の無い世界です。
そして許しは、誰の為なのでしょう。
私は人を通して、自分を許させて頂いている行為なのかなと思います。
人は相手の敬意の無さに苦しみ、悲しみ、何故なのかと怒ります。
そして、そんな態度を取られてしまうような不甲斐無い自分に一番怒っていたりします。
老いた自分が悔しく、不甲斐無い自分が悔しく、理想のビジョンを表現できない自分が悔しいと怒ります。
自分の情けなさが悔しいと怒ります。
こんな顔、こんな家族、と怒ります。
世界は全ては理想通りでは無く、周囲の愛でさえいびつな物に見える時があります。
非難して叫びたい時があります。
思い切りぶつけたら、素晴らしい解決と愛があるかもしれないと考える人もいます。
でも思い出してください。
私達は光。
目覚めた人から絶対的な愛だけをこの世に与えます。
エゴは世界をコントロールしろ!お前の土台はグラグラだ!お前は、馬鹿にされたんだぞ!相手を罰してやれ!卑劣で奇妙な奴らだ!と鞭をふるいたくて仕方がないです。
もしくは、コントロールしないと、お前の世界は未来めちゃくちゃだぞ!とかね。
震えて、怖くて、私達はエネルギーが無い怒りを発動します。
そして更に魂の動揺は強くなります。自分の居心地の悪さは更に強くなります。
私達は、過去を振り返れば反省リストが長い長いレシートのようにあります。
あの時、娘に寂しい思いをさせた、
母に優しくできなかった、
という物から"たられば"まで.大小にいたるまで沢山あります。
そして私達はその罪の意識を使って、許しの力に変えてゆくのです。
それこそが真の強さと創造を作るからです。
だきしめてしまった人の罪があったとして、人を許すのが必要なのは、
私達は、過去の経験からなった自分を、ゆるす必要があるのです。
そして未来の制約から、自分をゆるす必要があるのです。
人をゆるす時、あなたは自分の過去の咎めを解放します。
自分の未来の制約から解放します。
そうして愛は愛らしく、創造は神の物になってゆくのです。
全ては魂の解放の為に。