私は比較的若い頃から神に向き合ってきたし、人生の意味を問うてきた。
人間らしく生きるという事、正しさと罪とを勉強してきたし、倫理観や、宗教哲学も大好きであった。
でも、気づいたのは、誰も倫理に沿って完璧に生きている人はほとんどいないという事。自分もだ!
それでもなお、真理や哲学を勉強し続けると、心の中で極端な二極化ができあがる。ポンコツか、素晴らしい人だ。
自分は、どうしようもない。もしくは、あの人は、けしからん人だ!みたいにね。
また、真っ白に生きようとすると、苦しい。自分の黒い部分を否定すれば、苦渋の表情で十字架を背負う、神の如くである。全て私の罪だ!と。
更に人に遠慮ばっかりしなきゃいけない。
倫理で自分の過去を照らせば、誰もが反省の時間に一生を使う程苦しい。
いい人にはならなくていい。貴方らしくやればいい。遠慮はいらない。貴方には一切罪は無い。
誰が貴方に罪があると教えても、真実、ない。
自分の人生の責任を引き受けるだけ。
また人間のそれぞれの論理はまた、馬鹿らしい物も多い。
私の事、好きなら、もしくは貴方が良い人なら、全部理解してくれて、全部賛成してくれて、私が嫌がる事(メニュー1から100まである)をしないはず。
何しても、全部許しあうのが友達
誰とでも仲良くしなくちゃいけない。
一人も見捨ててはいけない。
私の事本当に好きなら、プレゼントくれて、食事を連れて行ってくれて、色々な事もしてくれるはず。色々な事をしてくれるはず。×3
どうだろう。愛とか素敵な言葉のすぐ裏に変な物が一杯へばりついている。
これだと、毎日死ぬ程傷つきやすい。怒りと悲しみの魂にすぐなる。
どちらにしろ、自分のエネルギーが上がれば、必ず勝手に愛や光の感情になってゆく。意図してどうこうなんて難しいだけなのだ。
筋を通そうとすれば我はポンコツ!あいつもポンコツ!そうなるしかない。
また、人の問題を解決できない。最善の応援のはしごをかける事はできる。でも、解決するのは常に本人だ。
理解して欲しいのは自由や軽やかさの中にしか、愛のあふれる泉は起きてない。
でも、怒ったり苦しんだりしても、その奥底にはやっぱりあふれる愛がある。人差し指で、山から登りゆく太陽を隠せるように、自分の愛も隠せる。でも、そこにはある。
自分のもあるし、人のもある。自分の魂や生き様からなるでこぼこ球体を抱締めて、死ぬ程愛してほしい。それができたら、必ず他者のもできるようになる。
貴方はポンコツ、そして最高の存在だ!
貴方なら必ず、最高の前進、進化、発展を遂げる事ができる。どんな苦渋があっても、世界からなる愛を、貴方の聡明さを信じてほしい。
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