私自身スポーツをしている。その世界で働く友人もいる。
音楽や絵画などの芸術もそうだがスポーツの世界もちゃんと食べて生計を立てられる域に到達できるのは「一握り」否「爪の先」ほどしかいない。
「好きこそものの」と喩えられる。スタートはこれ面白いとか知らないうちにそばにそれがあった程度が大半なのだろう。
が一度競技に飛び込むと優劣をつけたがるのが人間の本性の一つだ。
トップアスリートたちはたいてい本気で人生賭けて打ち込むわけだ。
国費を使って選手を派遣するから選手は重荷に感じるのか?スポンサーはここぞとばかりに営業看板にしたがる。
「参加することに意味がある」というクーベルタン男爵が言ったとか聞くがへそ曲がりな私はあのバッハ会長の顔を見ているととても胡散臭い金の亡者に見えて嘯きたくなる。
思い起こせばつい3年前の東京の談合事件といい、今夏のパリでも柔道やバスケの審判問題といい、選手村の空調や食事、セーヌ川の健康問題といいとても不快な情報が多かった。
もういい加減国毎にたらい回しでやるのも考え直せないのか?南北問題の対策として途上国に予算を分配還流していくならまだしも結局豊かな国でしか開催出来ないなら意味もあるまい。
平和の祭典が聞いて呆れる。現在進行形で世界は危機に向かっていて、イスラエルでもウクライナでもその周辺でもスポーツどころか生命の危機に瀕している。
開催国のフランスですら貧富の差が拡大して仕事も無くシャンゼリゼ通りで物乞いをする女性の記事を先日読んだことすらある。
どうも世界中どこの国も金のかけ方が国民に向いてないと感じて単純にオリンピックを楽しめない自分がわかる。
もちろん多彩な国々のスポーツ選手が一堂に会して交流することは互いの理解を深めるには重要な役割だというのは論をまたない。