叔母の死 | 雲の呟き

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悪しからず御理解願います。

くも膜下で母が亡くなってから5か月が過ぎようとしている。


遺言だったことの一つが父が生前に自分自身で建ててしまっていたお墓に父と一緒に入れて欲しいと。


墓地までは遠いので5年前に亡くなった父の遺骨は未だ自宅の仏壇に残してある。足の自由のない母がお参りに行くのは不便だろうと考えたからだ。


遺言通り納骨をしてあげなければと位牌に法名を並べて書いて貰らい、墓地の骨塔にも名前を入れてもらわないといけないので昨年末に石屋さんと相談していて暖かくなったら納骨したいからと保留にしていたのを先月いよいよ彫ってもらうことができた。


亡くなったとき私の家族だけで葬儀をしたがその時に一人だけ連絡をとった人がいた。


父の妹だった叔母である。


確か父の2、3歳下だったから母よりも年上だったけど兄嫁だった母のことを「姉さん」と呼んでいた。


子宝に恵まれず私と同様に養女をもらっていて仕事もその夫だった叔父(数年前に他界)は父の会社、すなわち私の会社の下請けをしてくれていた関係もあって私も現役時代毎日のように仕事で行き来する間柄だった。


その養女、私とは従兄弟になるが数年前、金銭のことでもめて疎遠になっていたが叔母だけは連絡をとりあっていた。


その従兄弟も2、3年前に急逝した。若い頃、積み木崩しのならいかぐれて不健康な生活をしていて叔母夫婦に心配ばかりさせていたがそれが因果か逆をみた叔母はさぞかし哀しんだろうが叔母は私たちにしばらく伝えてこなかった。


母が亡くなる前月、叔母を誘って母と私の店で昼食を取ってもらった。


叔母は以前から大腸がんが分かっていたが寝込むこともなく意外に元気で私の店のパスタをペロリと完食したのを覚えている。年嵩90を越えていたから自由もきかず、コロナもあって思うように会えない二人だったからしばらくぶりの再会を楽しんでくれていたはずだ。


こんなに喜ぶなら月一ぐらい誘ってみたらいいなと思っていた矢先の翌月に母が亡くなった。


母の葬儀のこと叔母に連絡したとき、叔母は体調がすぐれないので遠慮させてくれと言われた。


死んでからのことどうしようもないとそのときは諦めたが今回納骨にはどうかと昨日連絡をとろうとしたが電話が繋がらない。「この電話は使われていない」という自動メッセージ。


よもやと思い急ぎ出向いてみた。案の定表のインターホンを呼んだが返事がない。となりの家には従兄弟の旦那が住んでいてそっちに回った。


呼び出すと「去年の12月20日に大腸ガンで亡くなって身内だけで葬儀を済ませました」という。母の49日も経たない頃だ。遺言で本家にだけしか連絡してないとのことだった。


彼とはほとんど行き来の無い間柄だったから責める気にもならず、当節それはそうか、みんなそれぞれだからなぁ、自分たちもそうだしなぁと納得せざるを得なかった。


ここまでのいきがかりを知る私には二人が不思議なえにし、ご縁で繋がっていたように思えてならない。ただの偶然とも言えるが人間同士はやっぱり響きあって影響しあってつながっているもの、真に一人ではいられないもの。義父が義母の翌月亡くなったことも。


残念なことばかりだったけどこの数年私の身の回りで起きたことはたくさん重要な教えになった。当たり前のことだけど。


「今を大事に生きる。自分も家族も、縁を大事にする」


未来は当たり前にはやって来ない。


今日も頑張るか。