どれほど善良で信心深い人であっても、あるいは聖人君主といえどもひとたび大きな災害を被ると人の生き死になど儚いことこの上ないことをこの数年でみなさん身に染みて感じておられると思います。
とはいえ日本の背骨と呼ばれる山々もたくさんの地震を起こした長い年月の隆起や地殻変動が作り、大雨で氾濫した川が作った扇状地の上に私たちは住んでいて軽んじるつもりはありませんが、大きな地球規模の地理と時間の中ではとてもちっぽけな出来事の一つに過ぎないのです。
先日の西日本の豪雨でもそのあとの猛暑でもたくさんの被害が出ていてとても他人事に思えずわずかな協力をと思うのです。
どういう因縁か自治会の会長を仰せつかっていますので社会福祉協議会だとか赤十字だとか実態のある社会貢献には協力しています。
先日「自主防災組織」で役所の無責任さを愚痴りました。
今回も愛媛県のダムの放流にしても人災?と思えるふしが多々感じます。何のため、誰のための治水だったかと不信に思えます。誰か人柱が立たないと役所は動いてくれないというのはいかがなものでしょう。最善と思っている範囲が想定内という時代は終わっていると思えます。
と思っていたら今度は浜松の某火伏の〇葉神社から寄進の案内が来ました。
だいたい神仏信仰していたら災害から守ってくれるなんてことはありません。ましてや万一災害にあっても補償してくれるわけでもありません。
辻占いも同然。保険のほうがよっぽど科学的だしまし。と私個人は思うのです。
百歩譲ってお札をいただく気持ち、災害を意識した生活をするための注意喚起、警告が自立的な防衛活動につながるというのが効果だということでしょうか?
それにしたって個人の信仰は自治会と関係ないし、ではほかの宗教法人が寄進の依頼をしてきたら協力するのか?という意味では線引きをすべきではとこれも私個人は思っています。
で三役の協議にかけましたが否決されました。
理由は町内の行事に神事があってそれとの整合性がとれない。お祭りなどの時に自治会が管理している土地に氏神様として〇葉神社と〇勢神宮などの名前を借用している。
いちばん有力な反対意見は私がもっとも嫌悪する前例踏襲。
ただこれも補完する理由は百歩譲って神事ぐらいしか町内住民を統一して行う行事やコミュニケーションの場づくりには欠かせないということです。だから強いてほしいという人が居るうちは便宜を図ってもいいということも理由になっています。
確かに有象無象の数百名の自治会で行事だコミュニケーションといってもなかなか場所も予算も理解も急には得られないと思います。
そのための外交費と思えばと認めざるを得ませんが、寄進の額と件数によっては再度来年議論したいと思っています。