だったでしょうか?そんなコピーがCFで使われていたことを思い出しました。
先日うちでライブをしてくれたプロアマのバンドがWeather Reportのカバーをしていました。
私がウエザー黄金期つまりジョーザビヌル、ウェインショーター、ジャコパストリアス、ピーターアースキンという編成の名古屋公演を名古屋市公会堂で観たことを伝えると生まれてないとか赤ん坊だったとか、人を年寄り扱いするような回答とともに「羨ましい」と嫉妬されました。
お蔭様でどういうわけかウエザーもマイルスも生で拝聴することができました。ジョンマクラフリン、ヤンハマー、ビリーコブハムもいるマハヴィシュヌオーケストラもスティービーレイボーンもモーリスのいるEWFもまだまだ売り出しのころのカシオペアも見ています。
未だにマディーウォーターズがチケットを持っていながら行けなかったことが悔しい。
亡くなって観られなくなったアーティスト、リッチーブラックモア、ジョンロード、キースエマーソン、グレグレイクなどなど。
生きていても引退してみられないティナターナーなどみておきたかったライブの枚挙はいとまもありません。
何百年経っても人類史が消えない限り音源は消えないでしょう。現在作曲家自身が自分で演奏した最古の音源はブラームスのようです。
作曲家が作品を残していくのに楽譜か伝承しかなかった時代から自身の音源ということができるようになったのは19世紀後半ということですね。
ですからそれ以前の作品はたとえ同じ楽曲であっても楽譜だけでは細かいニュアンスは演奏者側の勝手な解釈でしか表現されません。
けだし音源があっても伝わらない空気感は未だライブにはあります。
いくらビデオが解像度が上がっても平面的な画像などでは伝わらない。
だけでなく厳密にいうと音源そのものもマイクを通した時点で生とは異なるものになっています。
それはマイクの特性もありますしミキサーで編集されることや座っている客席とマイクでは異なる距離感とか全部似て非なる現実は覆りません。
それほど原音に近いものに唯一無二でその場で立ち会うというライブは貴重な体験だと言えます。
是非あとから「みとけばよかった」と後悔しないように機会があったら関心のある演奏会にはお出かけください。