同窓会 | 雲の呟き

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私の卒業した大学の愛知県の同窓会組織は毎年総会という建前で懇親会があり、例年定年後前後(昨今実際にはまだまだ現役が多い)の卒業年次のものが一年ずつ送るように幹事を受け持ってきています。

たまたま今年の年次の幹事役員が私のゼミ仲間だったため私に協力を言ってきたのを受けて役回り幹事を引き受けました。

昨夜から大学の同窓会の動員に幹事として数名ほど名簿から同期をしぼって個別に電話をいれて参加を働きかけました。

が全滅です。

当節確かに学閥の影響力が希薄にはなったし、出ていっても懐かしい馴染みの人物に会えるとは限らない。たいして世話になったわけでもない先輩に先輩風ふかされても愉快でもなし、飲んでいても愉しくもないという気持ちが解らなくはない。

実際私もそうです。

じゃ同窓会組織なんて無いほうが良いものか?

群れることが普段から私は好きな方ではありません。

ただそうした傾向はどこかどうせ変わらないからとうそぶいて投票所に行かずに政権批判をするのに酷似していないかと思えてしかたありません。

面白くなければ自分が出て仲間を呼んで面白くしたら良いのでは?それともそれなら別の会を企画する?のかな?

地域の自治体活動もそうです。

数年前私も居住している町内会の役員になったとき、祭りを大幅に変えました。

それまでは年輩の重鎮仲間が当日集まって酒宴を開くだけで、若い世代はほとんど参加しませんでした。

それで企画をいくつも立てました。

みたらしや綿アメ機を借りて振る舞ったり、絵手紙の発表会や演奏の披露、域内の警察の広報に頼んで安全講習、不要なものをみなで持ち寄って蚤の市、菓子撒き、ビンゴゲームをしたり学園祭のようにしたことがあります。

大変でしたが参加者や協力した役員会の方々にも好評でした。

がそれも私が役員だったときだけでした。

後々の役員には負担が大きかったようです。

でもあれだけやったお陰で地域のコミュニケーションは今でもよいほうだと感じます。

人の出入りの少い地域ですから顔馴染みができて挨拶や声がけが増えたように思います。

地域の安全、安心のために有益だったと思っています。

悪癖もあるでしょう。

でもそれも含め参加することでしか変えられません。

幹事を引き受けた理由の一つです。