リウマチだった著名人は結構多い。ルノアールやエディットピアフ、アガサクリスティなどなど罹患してもすばらしい仕事を残している。
6年前何気なく取っておいたTV番組。柳屋小三治師匠の生活を昨日見なおしていた。
当時68歳、今も現役の落語協会会長。私と同じ関節リウマチ患者だと告白していた。個別の違いはあるだろうがかなり多種類の錠剤を大量に服用していた。初回このVを見た時にははっきり言って「難病だ」という以外全く気にもしていなかった。
師匠はいう。
「一番下から物を見ることができないと落語は語れなかった。病気になって人の助けが要って、ありがたいと思うようになれた。病気になってよかった。」
彼は当時すでに闘病20年。
病気や障害は無いほうがいいに違いない。だからみなそれを克服しようと頑張るのだ。「病気になってよかった」は師匠が病を受け入れた結果の境地に過ぎない。
人間、顔かたちが違うように、お金のある人、無い人、体の強い人、弱い人、多様性があるがゆえに自分の価値を見いだせるはずなのだ。誰もが同じように製造された一仕様のロボットだったのなら、あなたでなくていいことになる。誰もが取り替えることができる。
それぞれが喜びがあり、苦悩がある。それはその人自身にしかわからない。それらをすべて前提として受け入れ認め合うことによってのみ、自分自身もまた他者に対しても、尊厳がおき、敬意を払うことができる。
我々は病気と闘う。苦しむ。そして受け入れる。そのひとつひとつ、それこそ自身が生きている証の一つ一つである。
私もどういう因縁かリウマチになったおかげでいろんな人間関係に恵まれた。症状の重い軽い、個体差はたくさんあるが、病気の苦痛や不安をわずかでも思いやることができて、ある時は泣き言を互いに吐きだし、共有し、助け合っている。まさに「同病相哀れむ」の言葉通りだが、決してネガティブな「縁」では無い。
3月は大学時代のバンド仲間を悪性リンパ腫で失って今年で21年になる。私が最後に見舞った時のことを今でも思い出す。すでに重篤な状態だった彼。思うように話すことはできなかった。
体のあらゆる部位で内出血を起こしていた。眼球の白目の部分にも出血していて私の事を正視できているのかどうかすら疑わしかった。その瞳を見つめていた。今から起こるだろうことを彼が覚悟していて、小さな幼子を残していかなければいけない。まだまだやりたいことがあるという無念さだけがありありと強く伝わったことを忘れられない。
私は言葉を失っていた。短い沈黙のあとこんなことを話したと思う。「もう君は覚悟を決めているようだね。辛い痛みは代わって理解することができない。だが最後まであきらめないで闘ってほしい。闘うその姿が、その生き様が、君の子供たちには最高の教育になるんだ。」
それからほどなく彼は35年という短い人生を「生ききった」
彼の葬式の時のコブシの花の白さが眩しかった。まだ春浅きしかし今日のように澄み渡った青空に上って行った。
ソチではまたパラリンピックが始まる。障害者になってもくじけずに、健常者よりも優れてすばらしいパフォーマンスをする選手もいる。いろんな生きざまに触れるのは涙が出るほど感動的な瞬間である。