一昨日の晩からうちの上さんは横浜の娘のところへ行って長期に留守をしている。朝から愛犬の世話、掃除、洗濯、食事に買い出し、トレーニングと忙しい。
でもまぁそれなりにできちゃうから困る。以前TVであるカウンセラーが離婚傾向についてのレポートで、それぞれで生活が完結してしまうのは問題で、生活の役割の上で分業、共生できるのが望ましいと言っていたことを思い出した。「いなくても困らない」ようでは困るのである。
実際私が引退して家事を手伝うようになってからのほうが家の中が整理されている。冷蔵庫の中も無駄にする食材も無くなってきた。
じゃ本当にいなくていいのか?という命題にぶちあたる。結婚というのの起源はいったいなんだったのか?若い頃交際するうちに勢いいっしょにいる時間が増える。頻繁にデートをする。別々に暮らしているというのは不便。永くいっしょにいたいと思う先に同棲があり結婚があった。至極合理的な結論。
「いっしょにいたい」という気持ちと家事を分担する「共生」とは別次元の問題なのだから離婚の理由にはならない。ただ「いっしょにいたくない」という原因の中には「共生にたいする不満」もあるから相関が無いわけではない。
8年前上さんがうつになりたての頃、しきりに死にたがった。何もする気にならず一切家事ができずに食卓にみんなそろっていても無表情に箸を動かすことすらできなかった。そんな状況のときに子供たちは病気を理解できずに家事のできない「駄目母」となじって辛くあたったことがある。家庭の中の役割をステレオタイプに割り切って「母親=家事をするひと」と決めつけていたから。
先日「巻子の言霊」という番組をNHKで見た。交通事故でかろうじて意識はあるが植物人間になってしまった奥様とそのご主人。「まばたき」しか意思表示できない奥様が「レッツチャット」という機械をご主人が補助しながら会話をする。機械を通して言葉を交わしているうちにある日奥様が「愛しています。殺してください」とご主人につげる。生きていても自分は意味がない。あなたの負担になるだけだからという精一杯の「言霊」だった。
生きているのが死ぬより辛いという苦境にあって、負けてしまった事件も昨今よく聞かれてしまうご時世である。
理屈でなく「いっしょにいたい」という気持ちを見失わないようにしないと。