老うるということ | 雲の呟き

雲の呟き

流れる雲のように、浮かんでは消えていくものの名残を文字にしています。
「いいね」がほしいわけでは有りません。
「読んだよ」程度のコメントはご遠慮させていただいています。
悪しからず御理解願います。

昨日父が会社からの帰路で自損事故をした。幸いair bagが開くような大事もなく、よそ様を傷つけることもなかったが、電信棒にあたってセルシオの左前輪のタイヤハウス周辺を壊し、シャーシも痛めたようだ。

 まずいことに電信棒にあたったときにまだ走れると判断した父はそのまま移動しようとしたが、しばらくしてやはり前輪の異常を尋常ではなくとらえたらしく近くのサイゼリアの駐車場にとめた。ところがそのとき判断を誤って輪留めの間をぬけ、サイゼリアのフェンスと隣家のフェンスを壊してしまった。

 急に呼び出された私は次女と現場に迎えに行った車に娘に父を乗せて帰るよう命じ、残ってサイゼリアの責任者に事情を説明して保険会社に対応させる旨を伝えてお詫びをし、また隣家にも同様にお詫びにいって出入りの自動車修理の業者のレッカーで移動をさせた。

 父は今年83になる。去年の免許の更新に私はもう免許を返上すると思っていた。ところがそれを更新し高齢者教習をうけて自動車学校もOKを出した。普段から側にいて体力と判断力が顕著に落ちてきていることはよく知っている。母のいう「歩くより車を運転しているほうがしっかりしている」「自宅でTVのお守りをしているとぼける」という主張を受け入れて黙っていた。

 が今度ばかりはいけない。まだよそ様を傷つけないだけ本当に幸いである。免許も車もとりあげないと父の命だけでは済まなくなると感じた私は昨晩父の自覚の足らないのを叱った。

 私は車を廃車にすること。もう出社しなくていいといいきった。うちで面倒をみると母がいうので、母にも出社しなくていいと伝えた。

 仕事一筋に生きてきた人たちだけにわびしいだろうことは十二分に承知している。自分の老いを認めたくないのもわからなくもない。私もいずれ子供達にこう言い放される時がくるだろう。老いるということ。時間とは万物にきわめて公平にまた残酷に流れるものだ。

 強かった父や母が弱っていくのを認めたくない自分がどこかにいることもわかっている。ショックなのは本人だけではない。