昨日(もう一昨日ですか・・)1月6日は、スペインでは子供達がクリスマスプレゼントを開ける日でした。サンタではなく(このごろサンタもやってくるようですが)、こちらではプレゼントをくれるのは東方の三人の博士ということになっています。それでセールは、ぎりぎり最後のクリスマスショッピングが終わった1月7日から始まります。今日のセビリアは買い物ですごい人手でした。


私はといえば、12月24日から1月5日までと長い休暇をとってしまったおかげで(旅行中も細々とは翻訳していたのですが、細々すぎたようで)、仕事に追われて大変なことになっています。やれやれ。イギリスとアイルランドに行ってきたので、少し訪ねた街について書いていくことにしましょう。


ルートとしては、グラナダ→ケント(連れの家族がいるので)→マンチェスター→ダブリン→ゴールウェイ→ケラニー→コーク→ロンドン→セビリア、とまわってきました。ケントでは連れの家族とクリスマスを過ごしたのですが、以前イギリスに住んでいたといっても「どっぷりイギリス人のクリスマス」というのを過ごしたのはこれが初めてで、なかなかすごいものがありました。イギリスに限らないかもしれませんが、クリスマスに子供に与えるプレゼントの数って、なんだかものすごいことになっている気がします。これはかなりショックを受けたことなので、機会があったらまた改めて書ければと思います。


でも今日はちょっとマンチェスターについて書きましょう。「工業都市」「産業革命」「寒くて暗い」などと、時代遅れのヘンなイメージしかもっていなかったのですが(100年くらい遅れていますね)、行ってみたら学生の多い活気のある大都市で(周辺都市を合わせると人口260万人ですって。ものすごいですね。大学は学生数8万5000人だかで、ヨーロッパでも有数のマンモス大学だそうです)、見所も多くすっかり気に入ってしまいました。ビクトリア時代の煉瓦の建物が多く、風格のある町並みでした。あとはなぜか19世紀ごろのネオゴシックの建物が多かったように思います。市庁舎も見事なネオゴシック様式でした。


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これは大ホールですが、この天井には商業都市マンチェスターの交易相手国などの紋章が一面に描いてあります。探してみたら日本もちゃんとあって(そのすぐ下に中国もありました)、紋章はものすごく大きな菊の花が一輪、どーんと描かれていました。


工業都市、商業都市だっただけあって、街のシンボルは働きバチだそうで、この市庁舎の床にもモザイクで蜂がたくさん描かれていました。そのほかにも、街で何回か蜂をみかけました。たとえば、こんなところに。


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今では、大学のシンボルも蜂だそうです。日本だと「働き」ときたら「アリ」ですよね。それはそうと、街を歩いていたらビクトリア時代の建物の前の柵に、こんな模様があって、つい反応してしまいました。


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懐かしのグラナダ。そう、柘榴です。でも柘榴って建物の飾りによく使われるモチーフなんでしょうか。グラナダの外ではあまり気がつきませんでしたが。


さすがイギリスの大都市で、ここのチャイナタウンも立派なものでした。ロンドンと同様に、その一画にくるといきなり全部中国語になってしまい、道の名前も英語名と中国名が併記してあります。レストランや食品店が主ですが、中国だけではなくタイの食品店や、「タイの女性がマッサージ」などという怪しげな店があったのが印象的です。


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タイの食品店に入ってみて(ポッキーのタイ語版や、生の胡椒など面白いものがいろいろ売っていました)、ちょっとびっくりしたこと。幾組か客がいたのですが、3,4組、イギリス人のかなり年配の男性と、若いタイ人(と思われる)女性のカップルがいました。その後、マンチェスター在住の連れの友人に会ったときに聞いてみたら、イギリスでもタイなどの女性と、エージェントによるお見合いを通じて結婚するケースが増えているのだということです。ずいぶん年の差のありそうなカップルが多かったのが気になりましたが。


チャイナタウンだけではない、インド(ムスリム系が多いようでしたから、バングラデシュやパキスタン出身の人たちなのかもしれません)タウンもかなり大きくて、面白かったです。カレー屋さんはいたるところにあり(スペイン人は辛いものが苦手なので、セビリアにもグラナダにもカレー屋さんは一軒しかないのです)、これがまた美味しいため、感動して毎日食べていましたが、このエリアに来るとレストランだけではなく、手作りのお菓子屋さん(練り菓子が多いようです。ピンクとか、ピスタチオの緑で、ものすごく甘そうなお菓子が山盛りになって売られていました)、ビデオショップ(当然ボリウッド)、そして服屋さんもたくさんあるのです。


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非常にきらびやかなクルタシャルヴァールがたくさん売っていました。中には布を売っている(そこで仕立ててもらう)、という本格的なお店もあって、次回来た時には是非一着買うぞ!と心に決めました。どちらかというと、サリーよりもシャツとパンタロンのクルタシャルヴァールのほうが多かったようです。


ロンドンでも思ったことですが、イギリスの大都市は本当に移民社会で、街を歩いていていわゆる「白人のイギリス人」の割合がひどく小さいような気がしたことが何回かありました。まあ連れの家族の住んでいるケント州の村ではその全く逆で、村のパブに行ったら東洋人どころかインド系もアフリカ系も、多分東欧系も全くおらず、パブに入った途端店中の注目を浴びてしまったこともあったので、一概には言えませんが。


短い滞在で、街を歩き回るのと連れの友人たちに会うことで終わってしまい、面白そうな博物館などもたくさんあったのですが行くことができませんでした。氷点下ぎりぎり、というくらいの寒さでしたが、街のいろいろなエリアでいろいろなことが起こっているような(普段小さな街に暮らしているのでそう感じたのかもしれませんが)、魅力的なところでした。是非もう一度訪ねたいところです。

2006年が皆様にとって素晴らしい年になりますよう。


いきなり留守にしてしまってすみません。12月の24日からイギリスとアイルランドに行っていて、今夜スペインに戻ってまいりました。今セビリアです。アイルランドははじめてで、ダブリンとコークとゴールウェイにいってまいりました。素晴らしい景色と、音楽にほれ込んでしまいましたし、ギネスもたくさん飲んでまいりました。いろいろご紹介したいので、スペインの話と混ぜながら少しずつ書かせていただきます。


でも今日は、旅行に出る前の話を。ロンドンに発つ2,3日前はずっとモロッコ人の友人といて、何も書く余裕がありませんでした。というのも、彼女の付き合っている人がいきなり脳梗塞で入院してしまったのです。彼氏はイギリス人で、入院したのもイギリスです。しかも半身麻痺で、人の話はわかっても自分で口をきく事はできないという状態で、友人にそれを知らせてきたのは、会ったこともない彼氏のお姉さんだったそうです。


すぐにでもお見舞いに行きたいのに、行けない、というのでなぜ?と聞いたら、ビザがとれないのだといいます。このような話を聞くのははじめてではないのに、またショックを新たにした感じでした。(スペインには合法的に滞在していても今仕事を探している最中なので、雇用先、として記載できる会社のない)モロッコ人の彼女が、たった2,3日間イギリスに行くのに必要な書類、申請書などを、彼女と一緒に調べていて愕然としました。日本国籍の私ならばチケットを買えばすぐにいけるイギリスに、彼女が行くのは本当に大変なことなのです。


ビザの申請書はなんと8ページもあり、彼女の家族事情、雇用、銀行口座残高はもちろん、渡英目的、知人がいるならば彼との関係、彼の家族との関係その他について本当に事細かに質問が並んでいて、しかも彼女の場合のように「知人を訪ねる」のであれば、その知人もしくは家族からの招待状を添付しなければなりません。その後銀行の口座残高(場合によっては知人の銀行残高も!)、スペインで学校に通っているならその証明、会社に勤めているならその証明を添付し、マドリッドの英国大使館にそれを提出して、それでも彼女によれば「ビザのおりる確率は低い」というのです。それでも彼女が「ムスリム圏の若い男性」でなく女性であるだけ少しはましだ、というのですが。


一連の「テロのとの戦い」がこんなところにも影響しているのだな、ということです。うまくいえませんが、日本国籍を持っていては気がつかないことがたくさんあるのだ、と思い知りました。たかが観光にいく私が簡単に渡英できて、脳梗塞で入院してしまった恋人を訪ねる彼女が銀行口座の残高によってはビザを取得できないかもしれない、というのはすごいことのような気がします。


なんだかいろいろと考えさせられました。特に昨日、ロンドンで2年半ぶりに会ったパキスタン人の友人が、投資銀行に勤める男性(こちらもパキスタン人)と結婚し、ものすごくヤッピーな生活をしているのを目の当たりにして、当たり前のことですが、人生はいろいろなんだなあと感じ入ってしまいました。ロンドンの一等地に住んで何億円もするフラットを買うことを考えるような生活をしている人もいれば、その何百分の一かのお金が口座にあるかないかでビザが取得できるかどうかを心配している人もいる。それも世界の両端にいるわけではなく、二人とも私の大切な友人として。と考えると、なんだかわけがわからなくなってきます。


それでもとにかく。いろいろある世の中ですけれど、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨日は、久しぶりに大学の級友に会いました。大学院で一緒のコースで、カセレス出身のスペイン人の女性ですが、モノリンガルな傾向の強いこちらの人に珍しく、英語、ドイツ語、フランス語の翻訳をこなしてしまうというすごい人です。留学経験も豊富で、フランス、アメリカ、ドイツに暮らしたことがあります。


彼女は同い年くらいなのですが、昨年離婚して、それまで元の結婚相手と暮らしていたブラッセルから大学のあるグラナダに移ってきました(それまでは大学院のコースを通信教育でやっていたのです)。今はグラナダで翻訳会社に勤めながら大学院の勉強を続けています。


そもそもグラナダで会社に正社員として「就職する」ということ自体結構たいしたものなのですが-それほどここには仕事がないのです-彼女の話を聞いてげげっと思ってしまいました。久しぶりに会ったらすっかり痩せてしまっていて、もとから小柄な彼女がますます小さく見えました。


まずこの「翻訳会社」なるものがすごい。正社員なので一日最低8時間労働ですが、これは「昼食時間を抜いて」8時間です。しかも!なんと一人一人のコンピュータで、「何時間」「何語」翻訳したかしっかり計られているというのです。お昼に行くときはタイマーをとめるのだそうで・・・それで純粋に8時間「翻訳」したあとでないと、帰られないようになっている。


彼女の翻訳しているのはソフトウェアのローカライゼーションに関するもので、文芸翻訳(をしたい!)が好きな私たちにとってはかなり分野の違うドライな翻訳です。まあそれはとにかくとして、素材は何であれ、8時間純粋に「翻訳」するのは並じゃない。私には絶対できません。休み休みやっていても最長でも6時間半くらいでくらくらになります。それ以上やっても能率が落ちるだけだと思うのに、会社からすれば「時間」と「語数」でしか仕事の分量を量れないらしい。いくらたくさん訳しても、間違いが多ければ仕方ないのに・・・。


そのうえノルマが課されていて、一日最低2500語を翻訳しなければならないということです。英語とスペイン語の翻訳なので、私にはどれくらいなのかあまり想像がつきませんが、2500語というと多分日本語にして400字詰めで15,6枚くらい?これはかなりの量です。英日翻訳で、私が必死でやって一日にこなせるのは多分12枚くらい、もちろんスペイン語と英語のほうが英語と日本語よりも距離が近い、ということはありますが、これをコンスタントに毎日こなせ、というのはひどい気がする。


しかも彼女は仕事に行く途中で事故に遭い、手術後3週間ほどリハビリをしなければならなかったのですが、労災が出ないのはもちろん(それは「仕事中」ではないから普通でないんでしょうか?)、そのリハビリ機関に有給を当てろ、と指示されたそうです。それに毎日それだけ働いてもお給料はよくない(金額は聞きませんでしたが。グラナダの相場からして1200ユーロもいっていればいい方だと思います)


これは翻訳業界が云々、というよりも、グラナダの労働市場の厳しさを物語っているのだと思います。この企業が特別に悪条件、というわけではなく、実際彼女の会社には、私の他の級友も何人か応募しているのですが採用されませんでした。「あとちょっとしたらフリーランスになろうかと考えているんだけど、どう思う?」と聞かれて、一言では答えられませんでしたが、グラナダに限らず海外も含めて伝手があるならやってみたら、と言ってしまいました。いつも思いますが、グラナダの労働事情はかなりひどいです。これはとくに移民の人にとってそうですが、スペイン人にとってもお給料がとにかく低い。それでいて雇用主側には「言い放題」に近い、とても有利なシステムになっている気がします。最低賃金なんて、移民の人を雇用するときにはもうないも同然ですし。


それにしてもコンピュータで翻訳している時間と語数を記録するなんて!!恐ろしい・・・日本で社内通訳翻訳として働いていたときも、そんなシステムのことは聞いたことがありません。時間や分量で管理しきれるものとしきれないものがあるような気がするのですが、翻訳は・・・ムリではないですかねえ。素材の難しさや間違いの多さなど、時間だけじゃ計れないものが多すぎると思うのですが。



久しぶりにグラナダに戻ったので、グラナダの話でも・・・と思ったのですが、大学の現代語学センターの図書館でたまたま日本語の本を見つけてしまい(日本人の学生が寄付したものだと思います)、借りてしまい、そのうえ一気に読んでしまったので、その話をいたしましょう。


著者は私と大体同い年で、この本で書かれている旅をしたときは20歳くらいですが、溢れるばかりのパワーに圧倒されます。ちょっと彼女のホームページを覗いてみましたが、やっぱり今では有名人になったしまっただけ、生き生きとしたエネルギーが失われてしまったような気がしました。でもそれは名前が売れる、ということの代償なのかもしれないと思いますが。やはり人の旅の話を聞くならば、あくまでも個人的に(スポンサーなしで、ということです)、独りで経験したことの話を聞くほうが面白いのではないかと思います。


この本は、著者の初めての一人旅、香港・シンガポールと、その後の旅であるインドについて書かれたものです。何よりも旅先での人との出会いを中心に書かれており、時々、「今この瞬間にも失われる時間」をとらえる、はっとするような感受性を感じさせます。そういうのを「刹那的」というのでしたっけ。


たとえば・・・ちょっと抜粋してみます。


ガラス窓に映る夜景をバックに、みなが思い思いの歌を唄い、広東語、日本語、英語の歌が入り混じっての大カラオケ大会になっていく。普段の生活を続けていたら絶対会えなかった人たちと、今ここで、同じ時間を共有していることが、なんだか不思議な感じだった。日本を出てみるまでは、よその国の人がごはんを食べたり、笑ったり、恋をしたり、大声を出すとスッキリする、自分と同じ人間だということを、こんなふうに身近に感じたことがなかった。

この本当なら会えなかったはずの人たちと、同じ時間を共有することの凄さ、というのは、いろいろなところを動き回っていると本当に強く感じることだと思います。私はそこから「時間は一つではなく、並行していくつもの時が同時に流れているのだ」と理解したような気がします。東京で満員電車に揺られて毎朝会社に通っていたとき、本当に本当に電車が満員で、足をつっぱって立っているのがやっとだった時に、「でもこれが全部じゃないんだ」と思っていました。今この瞬間、同じこの瞬間に、ロンドンでは、ラホールでは、香港では、ニューヨークでは、モントリオールでは、誰がどうやって時間を過ごしているのか、と考えていました。そして私がそれらのうちのどこでもなく東京にいるのは、他の誰でもなく、私が選択したことなのだと。誰に強制されたわけでもなく。


車窓から見える風景はいつも切ない。いろんな人の、いろんな生活を、瞬時に垣間見る。向こうもふとこちらを見たりして、手が届きそうなくらに近くに彼らを感じるのに、目に映るすべては一瞬で、はるか彼方へと流れさってしまう。私がどこにいて何をしていようと、彼らの日常は繰り返され、私の日常も続いていくのだ。

ベナレスから列車で旅している著者の感想です。なんだか読んでいると心が痛いようです。


これはおそらく、人生の本当に一時期にしか感じることのできない鋭さでとらえられた旅の記録なのではないか、と思います。あらゆるところで、あらゆる人生が同時に流れているのは、気が遠くなるようでいて当たり前のことですが、それを言葉で切り取り、表現するのは決して簡単なことではないのではないでしょうか。


仕事でもインド関係の翻訳、コンサートでもインドの音楽、とこのごろインド付いています。ああ行ってみたい!!




今日グラナダに戻ってまいりました。さすがに寒い・・・。

今週の土曜からイギリスなので、週末はクリスマスショッピングに走り回っていました。なんというストレス・・・街中「プレゼントを買わねば!」という風に目が血走った感じの人で一杯でした(?)。のせられているなあ、と思いつつ・・・日曜日にお店が開いているなんて、このときだけですものね。


それにしても悩んだのが、連れの甥姪。10歳と6歳なのですが、そんな年の頃なにをもらって嬉しかったか覚えていない・・・というか、セビリア(ひょっとしてスペイン?)の玩具というのは、もういろいろまわった結果、1)ぬいぐるみ系、2)女の子用のぞぞっとするような人形(これは個人的な感想。バービーとか、あと今はBratzというとても唇が分厚く、目の釣りあがっているオソロシゲなオネエチャン人形が人気のようです。大きな胸像のような上半身だけの人形で化粧を施して遊ぶ、などいろいろありました)、3)ボードゲーム(連れの甥はイギリス人でスペイン語は読めないのでこれはダメ)、4)パズル、しかない、ということが判明しました。あ、あと5)フィギュア系の人形、車など。結局街にひとつしかない「本物の、自分で組み立てる」プラモデル屋さんに行ってプレンゼントを買いました。やっぱりちょっとは自分で考えるおもちゃじゃないとね。6歳のお嬢ちゃんは、例のピンクの恐ろしげなお人形が好きらしいのですが、私が個人的にどうしても苦手で、考えた末インド製のキラキラのたくさんついた、ピンクの小箱にしました。でも中に入れるものを何か買ってあげなければ・・。


それはそうと、そうやって走り回っていたときに、連れが、「あ、ニホンマツリ!」といきなり声を上げたのがこれ。


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なんですか、このおねえちゃんポスターは・・・とよくよく見ると、なんとかなり大きなスペース(公民館?)を借りて、三日間も「日本の文化祭り」を行う、とあるではないですか。セビリアにそんな組織があるとは聞いたことがなくて(もちろん日本人会もありません)ちょっとびっくりして、行ってみました。


行ってもっとびっくり。まず結構人がいる。200人くらいいたかも。しかも・・・「日本人が一人もいなかった」。え?え?という感じでした。大きな建物で、部屋は「Heian」「Nara」「Taisho」などと名前がついており、各部屋に10-20人くらいの若者、そう、18歳くらいの子たちが集い、何かいろいろやっているのです。何を?と覗いてみると、ボール紙に線を引いた盤で「碁」をやっていたり、何かいろいろ漢字の書いてある本から漢字を写して「習字」をしていたりしました。しかも微妙に画数が違っている・・・しかし何でまた?


と隣の部屋に入ってみると、みんなで漫画を「描いて」いる!隣には山とつまれた日本語の漫画のスペイン語版。ちょっと覗くと、翻訳されていても効果音などはそのまま日本語の文字が残っていて、ひょっとしてこういうところから興味を持つのかしら、と思ったりしました。


多分こちらで「日本」というと一番有名なのは漫画やアニメなのかも。しっかり即売会もあり、まあドラえもんのような古典から、高橋留美子などいろいろ置いてありました。しかも本屋の名前が Sensei Comics・・・なんなんでしょう。これとは別にSensei Bandというロックバンドのコンサートもあり、センセイはなかなか人気のようです。

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しかしそれにしても、これは一体誰が主催しているのか?パンフレットには「Asociacion Cultural Tokio Genesis」という聞いたことのない団体名がありましたが、日本大使館の後援も受けているようです。プログラムによれば日本とスペインの文化、アニメの翻訳などについていろいろ講演もあり(しかも講師は全部スペイン人)、そのほか日本語会話のクラス、日本料理のクラス、折り紙ショーなど・・・そして「オタク」?!そう、「オタク」ゲーム、「オタク」雑学、等々・・・あっけらかんとOtaku関連講座がたくさん並んでいました。


こちらで「オタク」「フリーク」というと、日本のマンガがすごく好き、というくらいの意味なのでしょうか。まあとっかかりはなんでもいいんですが、日本料理とオタクが同等にならぶってすごい、とちょっと感心してしまいました。


などと考えていると、16歳くらいの少年が、「名前を日本語で書いてあげましょうか」と訊ねてきたので、「・・日本人なんですけど・・」と答えると、「でもいいですよ。ひらがな?カタカナ?」とすっかりやる気なので、ひらがなで書いてもらいました。なかなか綺麗な字でしたよ。


離れではコンピュータゲーム三昧の部屋と、その隣で20人くらいで一生懸命折り紙を折っている部屋がありました。ちょっと折ってみる?とここでも若いのが黄色い紙をくれたので、ヘタクソな鶴を折りましたが、その後徴フクザツな「紅葉」だかなんだかを折っている少年少女(ちゃんとインターネットからマニュアルをごっそりダウンロードしていました!でも折り紙の絵はわかるんだけど、指示が全部日本語で大変そうだった)に、「ここはなんて書いてあるの?」「これはどう折るの?」といろいろ尋ねられ、手先の不器用な私はあせってしまいました。でも「ああ、これでわかった。昨日の夜家でずっとやってたけどわかんなくてさ」とかスペイン人の16,7歳の子が言うと、なんだか笑っちゃいませんか?折り紙ですよ!


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彼女はまるっこい指で一生懸命いろいろ折っていて、なんとなくいじらしい、と思ってしまった。力作がならんでいます。ツルもあるがカメもある。私この中でできるのはツルだけかも・・。


となんだか不思議な日本祭りにいってまいりました。一体彼らは何者だったのか、今でも不思議です・・セビリアにこっそり(でもないけど)、日本人も知らない日本が存在している・・・らしい。

昨日今日と、音楽を聴く機会がありました。偶然両方とも、東から来た音楽だったので、少しそれについて書きますね。


昨日はセビリアで受けているコース(といっても授業は月に一度ですが)の「アル・アンダルス(ムスリム支配下のスペイン)における文化と歴史」の授業の二回目でした。講義はイマイチでしたが、授業の後半はなんとコンサートで、これがとてもよかったのです。


シリアから来たAl Turath Ensemble というアンサンブルでしたが、メンバーは6人、全員男性で、ギターの中東版とでも言うべきウード、あとはちょっと琴に似た楽器と笛、タンブーラ(というのか、打楽器)兼歌い手が3人でした。なぜこのシリアのアンサンブルが授業の後半にコンサートをしたのか、その理由がまたふるっています。彼らの奏でる音楽はMoaxaja、モアシャハといって、同名のアラビア語の詩の一種に節をつけたものですが、モアシャハはアル・アンダルスに特有の詩形なのです。それ以前は首都ダマスコその他のより「中央」の地域の詩形をまねていたアル・アンダルスの詩人たちが、はじめて作り出したオリジナルの詩形がモアシャハ、そしてそれが首都ダマスコまで伝わり・・・今のシリアですから・・・今でもかの地に残っているのです。10世紀もの時間を超えて。すごいことだと思いませんか?


音階が西側の音楽と違い、なんというか音がより細かく区切られている感じでした。あとはハーモニーという観念がないのか、3人歌い手がいても斉唱のようにみんな同じメロディを歌っていたのが印象的でした。「艶のある」という表現がぴったりの声で歌い上げていくのですが、本当はコンサートホールで椅子に腰掛けて演奏する音楽ではなく、床に座り、気の向いた時には踊りながらずっと手拍子で夜明けまで歌うものなのかしら、と思わせるような、即興的な要素の強い音楽でした。リズムがまた細かい・・・9拍子とか、数えるだけで混乱しそうな拍子が多かったです。その昔はここセビリアやグラナダでもそういう音楽を奏でていたのだな、と思うと感慨深かったです。


そして今日は、イギリスからきたバンド、Achanak のコンサートに行ってまいりました。イギリスはバーミンガムの出身のバンドですが、インド系移民のバンドで、パンジャーブの音楽であるバングラを演奏しています。ドールという大きな太鼓、およびタンブーラという座って叩く小太鼓と歌がメインの伝統的な音楽に、西側の音楽をミックスしたものです。もともとがお祝いの音楽なのでノリのいいことこの上なく、セビリアっ子の観客も踊りまくっていました。バングラはこのようなバンドで聴くのは初めてですが、パキスタン人の友人(でもパンジャーブ出身です。パンジャーブ州は、インドとパキスタンにまたがっているのです)の結婚式でも演奏されていて、みんな踊り狂っていたのが印象に残っています。西側の音楽にもかなり受け入れられ、ステータスを築いているのだなあとちょっと感心しました。


それにしても音楽のパワーはすごいですよね。言葉よりも伝達力があるのではないか、と思うことがあります。遠く中東の、そしてその昔のアンダルシアの宴会や、パンジャーブの収穫祭や結婚式で、とにかくこの瞬間を祝う、という感じが伝わってくるような気がしました。今の仕事でインド関係の翻訳をやっているので、よけい重なってしまったのかもしれませんが。


<おまけ>

コンサート会場に行こうと家を出たら、目の前で自分の車の後ろの部分にベレンをしつらえて、音楽を流し、道行く人に力作を見せびらかしている(?)おじさんを発見しました。大真面目な様子なのです。近くまで行ってよくよく見せてもらうと、風車はあるは、メリーゴーランドはあるは(しかも名前がついている!Euro Autoというメリーゴーランドでした)、とてもベツレヘムとは思えません。その上さらに見ていたら、風車の下に道しるべがあって、矢印のしたに「ベレンはこちら」と記載されていました。じゃあ風車があるのはどこなの?オランダ??

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今日は、セビリアの現代美術館で展覧会を見てきました。セビリアを流れるグアダルキビル河を渡り、街の中心から少し外れたところまで歩きます。アンダルシア現代美術センター(CAAC)はもとは修道院(Monasterio de la Cartuja de Santa Maria de las Cuevas)だった建物を改造したもので、もと見事なゴシックのチャペルを今は映写室に使っていたりして、建物自体もなかなか見ごたえがあります。


本日の展覧会は、メキシコの版画作家(「版画家」って言うんでしょうか?)Jose Guadalupe Posada (1852-1913)。P.ディアスの独裁政権からメキシコ革命の時代に活躍した芸術家のようです。かなり荒っぽい時代だったのは想像がつきますが、そのせいかどうか主なモチーフは「骸骨」。骸骨の男性が骸骨の女性に求愛していたり、ソンブレロをかぶって飲んだくれていたり、いろいろです。中には「爺と若い娘」というようなタイトルで、骸骨が若い女性をひっかついでいく版画などもあって、なんとなくゴヤの版画を思い出しました。痛烈な社会風刺、ということなのでしょう。


ガラスごし、しかもフラッシュ禁止なので非常に見難くてごめんなさい。これはどうも骸骨が葬式に参列しているらしく、ソンブレロをかぶったり正装したり、ハンカチを顔に押し当てたりしています。一体骸骨が何を葬っているんだか、ちょっとヘンな気がしますが。案外生身の人間を葬っていたりして。

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この時代は新聞といっても写真はなかったらしく、この版画家、ポサダは新聞の写真代わりの版画もたくさん手がけていたようです。殺人事件や人攫いなどセンセーショナルな事件が多く、(「悪魔つき」なんていうのもありましたが)、いろいろ想像を逞しくしながら描いていたんだろうなあ、という感じです。犯人はあくまでも悪人面で、後ろに悪魔がいたりして。なかでも圧巻だったのがこれ。

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見難くてすみません。版画の部分がポサダの作品ですが、見出しは「人面豚発見!人の顔、魚の目、額に角を持った豚が出現」というニュースです。一体なんなんだ・・・しかもそれを見もしないで(・・見てないに決まってますよね)描く仕事、というのもなかなかすごいものがあります。写真代わり、というのは本当にそうで、メキシコ革命の英雄サパタの雄姿や、その死に姿(その後骸骨にソンブレロ、口ひげを生やした姿もありましたが)の作品もあり、これが「今日のニュース」という感じで新聞に掲載されたのか・・と感心して見てしまいました。


パンフレットには650点とありましたが、小さな版画も多く、1時間弱で見てまわれました。散歩がてらもと修道院の庭を歩いてきましたが(広大な庭や、各種の薬草が植わった畑、果樹園などがあります)、この修道院は焼き物もやっていたらしく(釜が残っています。修道僧が焼いていたのかは知りませんが)、庭にいきなりタイル見本のような壁がいくつも出現しました。色が素晴らしい。


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見上げるほどの高さの壁一面、様々なタイルです。「うちはこんなのができる」という見本だったんでしょうか。別に展示されているわけでもなく、庭のあちこちにタイル壁がふっと現れる感じでした。


そんな感じでゆっくり歩いて帰ってきました。セビリアは今でも日中はセーター一枚で歩ける、気持ちのいい気候です。




街はもうすっかりクリスマスです。お店にとっては年に一度の掻き入れ時なだけあって、12月にはなんと日曜に開いているお店もたくさんあります。商魂たくましいのはまあおいておいて、道の飾りやお店においてあるギフト用品が綺麗で、楽しい季節です。


まあ商魂たくましいといえば、日本のクリスマスこそそうですよね・・・別に全然キリスト教国ではないわけだから。まあ綺麗なものがたくさん見られて、楽しく祝えればそれでいいのかもしれませんが。


セビリアのクリスマスを少しご紹介しましょう。


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街中イルミネーションで一杯ですが、セビリアの並木はなぜか青紫のライトで統一されています。ライラック色というか。ちょっと変わっていてとても綺麗です。市庁舎などの建物は普通のライトで縁取られているのに並木だけこの色はなぜなのかわかりませんが。あまり見かけない色ですよね。


お店はもうこの時期、とばかりにギフト用品であふれかえっています。これを見るのも楽しい・・・無駄で可愛いもの、というのはいいですよね。まあ買うかどうかはおいておいて。デジカメ(といっても携帯で撮っているのですが)で写真を撮るようになってからは、別に買わなくても映像を手元におけるので、危険度が減りました。


いろいろ見ていると面白いのですが、例えばこんなものがありました。

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チェスボードですが、駒が全部チュピート(ぐい呑み?に近い。ショットっていうんでしたっけ)になっているのです。強いリキュール用のグラスです。一つ一つのチュピートに駒が描いてあるので、キングもクイーンもホースもちゃんとあります。敵方の駒を取ったら、その中のチュピートを飲める!ということらしい。うーん素晴らしいアイディア。チェスは私の永遠の憧れのゲームですが(動かし方くらいしかわからないのですが、駒の形がとにかく好きなのです)、これは楽しそう・・・というか終わるころにはすっかり酔っ払って勝敗なんかなくなりそうですが(因みに私が大好きなゲームはスクラブルです。地味すぎる・・・)。


ウィンドウショッピングのほかにもクリスマスといえばこれだ!というのはやはりベレン でしょう。しつこく何回もベレン市のことを書きましたが、いよいよセビリア中に本物のベレンが飾られる時期になりました!大きなデパートや、公会堂、教会などが立派なベレンをそれぞれ公開しています。週末はもう長蛇の列なのですが、今日の朝はすいていたので早速ひとつ覗いてきました。


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これはエルモンテという銀行の設置したベレンです。非常に大掛かりで、ベツレヘムとエルサレムの町が作られていました。こういう景色が延々と続くのです。ちゃんと昼夜があって(照明が明るくなったり暗くなったりします)、音楽も流れていてなかなかでした。


この時期は普段よりも、開いている教会も多くて、セビリア散歩が楽しくなります。

オリーブオイルじゃありませんよ。石油です。


またしてもセビリアに来ています。今午後8時、外は真っ暗ですが、今日はずっと窓の外でクリスマスソング(ビヤンシーコといいます)を歌っている一団があって、なんだか楽しそうでした。こちらのクリスマスソングは短調のものが多く、元気よく歌っていてもなんだか寂しげに聞こえますが、こちらの人に聞くと「いや、楽しい」といっていましたから、慣れの問題なんでしょうね。


それはそうと。今日は仕事に漬かった一日でした。今さっき、翻訳原稿を納品したところです。日本時間の朝が締め切りなので、こちらだと前日の夜に送ることになります。インターネットって便利ですよねえ。


このところ珍しく、今回の仕事では本当に苦しんでしまいました。ので久しぶりに仕事のことでも少し書こうかな、と思います。


フリーランスの翻訳は、「何でもアリなところが面白い!」と思ってはいるのですが、それにしても守備範囲、というのはやっぱりありますよね。私の場合は、前職の関係もあって、経済関係の仕事を受けることが多いのですが、そうは言っても幅が広い。デジタルカメラのメモリカードの商品説明からインターネットによる遠隔教育、米国のエネルギー政策から原子力、「これは経済といえるか?」といえるものまでいろいろです。それで大体はじめは「きゃっ」と思うのですが、インターネットのある今日、時間さえあればかなりのこと(といっても「用語」関連の、浅い基本的な知識、ということですが)は調べられるのです。ただ出来高制なので、時間がかかればかかるほど時給換算で安くなる、ということはあるのですが。


それで今回。それほど大きな仕事ではありませんでしたが、石油精製に関するもので、本当「きゃっ」では済みませんでした。む、難しかった・・・。用語が難しい、というのは二種類の場合があって、一つは「いかにも専門用語だな」というもので、これは比較的簡単に訳語も、内容の説明もみつけることができます。例えばCatalytic Cracking と出てきても、「接触分解」という言葉は簡単に見つかります(でもそれが一体なんだ、ということになると、もう少し調べないといけませんが)。

もう一つの場合のほうがやっかいです。これは専門用語なのですが、通常使われている簡単な言葉に、特別な意味を持たせた口語的なもので、その業界の知識がないともうお手上げだったりします。今回いくら探してもわからなかった言葉が Cut 。カットって・・・カット?いや違うんですよ・・・最初は??となっていましたが、頻出するにつれ、「これは原油を精製するときの、石油の重さの違う<層>のことらしい」とはわかってきましたが、結局その日本語での定訳をつきとめることができませんでした。ああ口惜しい。わかる人に聞けば「ああ、なーんだ、●●のことね」となる言葉の場合が多いのです。これは手ごわく、インターネットで深入りして探しているうちにどんどん時間がたち、もう本当にアタマをかきむしりたくなります。


それにつけても、世の中には実にいろいろな業種があり、専門家がいるのだなあ・・・といつもの感慨をまた新たにしてしまいました。明日からは、また全然違う分野の仕事なので、石油とはおさらばです。

ちょっとこれから出かけてこよう・・・まだどこかでクリスマスソングを歌っているといいのですが。

今日は寒さも一段落ついて、小春日和という言葉がぴったりの一日でした。Zubiaというグラナダ郊外の町に住む友人の家に行ってきて、今帰ったところです。日中は仕事をして(石油精製についての翻訳です!恐ろしいことに。英語でも日本語でも理解不能ですが、そんなことは言ってはいられませんよね)、その後あまり天気がいいので1時間半もうろうろと散歩をしてしまいました。うりぼうさま からリクエストのあった、Paseo de los tristesにも行ってきたので、そのことをちょっと書きましょう。


「悲しい者達の散歩道」?というちょっとヘンな名前の散歩道ですが、街の中心のヌエバ広場から私の住んでいるアルバイシン地区に向かって伸びているこの散歩道は、風光明媚で観光客のメッカです。アルハンブラも見えるし。そんなわけで、車一台通るのがやっとの道ですが、バルや土産物屋(なかなか素敵なアクセサリーのお店もいくつかあります)、アラブ風呂の跡(16世紀くらいまで使われていたのだと思います。熱いお湯の部屋、ぬるいお湯の部屋、そして冷水の部屋があって、天井には星型の明かり取りの穴があいています。その昔、お母さんたちはここでハダカの若い娘達を見て、息子のヨメを探したそうです)、ちょっと洒落たプチホテルなどで活気付いています。


ヌエバ広場から歩き出すなら、まず最初にあるのがこの教会。サンタ・アナという名前だったと思います。結婚式を挙げるのに、グラナダで一番人気のある教会なのだそうです。本当にかなり頻繁に結婚式をしています。おかげで未だかつて中に入れたことがありません。


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グラナダには河らしい河がないのですが(埋め立ててしまったので)、でもその名残があるのがこの散歩道です。教会の後ろあたりから河がはじまります。ここらへんは緑がすごくて(今は紅葉が見事です)、ちょっと田舎町に来たような気がします。


小さな川ですが、小さな石橋がかかっていたりして、なかなか可愛い。写真の左手に川があります。岸には、アヒルと野良猫がたくさん共棲しています。

マイクロバスが通っていますが、これはこの散歩道あたりからアルバイシン地区一体は、道が狭くて普通のバスは通れないためです。私もいつもこのバスを使って家に帰ります。歩けばいいようなものですが、この散歩道の終わったあたりから、登りがものすごい急勾配で・・・運動にはなりそうですが、荷物などを持っているとかなり苦しいものがあります。それでもアルバイシン地区にはおばあちゃんやおじいちゃんがたくさん住んでいるので、このバスは彼らで一杯、ということになります。みんな顔見知りらしく、ものすごいグラナダ訛りの大声でバスに乗ってきた人同士で会話が弾んでいます。

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この道沿いには他にもうひとつ素敵な教会があり、あとは考古学博物館があります。グラナダのこの博物館は面白いので、今度あらためてご報告しますね。まあずっと歩いていくと、ちょっとひらけた広場に出て、頭上にはアルハンブラ、という光景が現れます。


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上に写っているのがアルハンブラです。じっと目を凝らすと、下からでも塔の上に登っている人が見えます。ここら辺はバルのテーブルが並んでいて、いつも学生や観光客で一杯です。今日は気候がよかったこともあって、みんな外に座って午後の時間を楽しんでいました。


ここから私は折り返し、またヌエバ広場に戻ってから延々と散策を続けてしまったのですが・・・もう12月だというのに、秋らしい風景がいろいろなところに見られました。明かりがとても透き通っていて、グラナダは今とても綺麗な季節です。